不遇の志士を通して描く明治維新史の裏面!
赤根武人の冤罪
 村上 磐太郎
 マツノ書店 復刻版 ※原本は昭和46年
   2009年刊行 A5判 並製(ソフトカバー))函入 304頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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『赤根武人の冤罪』 目次
@破牢
A要駕策
B万延から文久まで
C馬関防衛
D武人の苦悩
E吉川監物
F周布政之助の憤死
G西郷隆盛の翻意
H筑前藩の周旋
I西郷窮地に追込まる
J高杉の挙兵と赤根の失踪
K内戦終結の奔走
L薩長連合と赤根
M淵上郁太郎のこと
N誰が長藩を救ったか
O赤根淵上の上阪就縛
P永井尚志の方寸
Q斬首
J秋良敦之助の汽船建造



 強いエネルギーがみなぎる一冊
     萩市特別学芸員 一坂太郎
 奇兵隊総督を務めた赤禰(根)武人は慶応二年(1866)一月二十五日、「不忠不義の至り」の罪科により山口鰐石で処刑された。二十九歳だった。
 赤禰の罪を疑問視する声は、当時からあった。赤禰白身も獄衣の背に「真は誠に偽に似、偽は以て真に似たり」と記していたというが、結局一度の審判も行われなかったので真相は闇に葬り去られた。
 だから明治の終わりになると、遺族が贈位による復権運動を起こした。しかし奇兵隊出身の元勲である山縣有朋や三浦梧楼の妨害があり、頓挫する。昭和十年代にも、赤禰の生誕地柱島を管轄する岩国市挙げての顕彰活動が行われたが、贈位実現には結び付かなかった。

 このたびマツノ書店から復刻される『赤根武人の冤罪』(山口県柳井市立図書館発行)もまた、赤禰復権を目指し著された。著者・村上磐太郎は赤禰家とゆかりの深い、柳井市の郷土史家だ。その表題にあるとおり、あくまで赤禰は冤罪を被せられたとの姿勢で貫かれている。
 この本の元版表紙には「明治百年記念」の文字が入っている。国が明治百年記念式典を行なったのは、昭和四十三年(1968)十月のことだ。ところが、奥付の発行日は「昭和四十六年八月二十日」とある。式典から三年も後の「記念出版」だ。
 これは、赤禰などとは無縁の場所で行われた明治百年のお祭り騒ぎに、著者が突き付けた、アンチテーゼの刃だ。遅れていようが、「明治百年記念」と入れた所に、著者の並々ならぬ思いを見る気がする。
 本書では今日でも「回天義挙」と絶賛される高杉晋作の下関挙兵を、「暴発」「無謀な兵」などと一刀両断する。これが、基本の視点だ。晋作の挙兵は、それまでの赤禰の周旋を踏みにじるものであり、「防長二州は更に深い窮地に陥れられた」と評する。通りいっぺんの維新正史とは正反対なので、衝撃を受ける読者もいるだろう。

 しかし、本書は多くの史料を駆使するものの、学術論文の体は成していない。語り口が特別上手いというわけでもない。感情に任せ、書き進めたような部分も多々見受けられる。史料の出典も曖昧だ。
 にもかかわらず、マツノ書店の復刻希望アンケートではつねに書名が挙がる。刊行三十数年を経てなお、根強いファンの多い本だ。

 それは、凡百の歴史書には見られない強いエネルギーが読者を圧倒するからだろう。なんとか赤禰を復権させたい!維新正史に異議を唱えたい!という、一途なエネルギーである。いくらすぐれた学術論文でも、これがなければ人の心を打つことは出来ない。
 だから本書は、作家の創作意欲をもかき立てる。童門冬二氏は本書から刺激を受け、『志士の海峡』(昭和六十年、のち文庫化で『奇兵隊燃ゆ』と改題)という、赤禰を主人公にした小説を著した。
 自分の立つ場所をはっきりと主張した、良い意味での「郷土史家」の仕事だ。この度の復刻によりさらに広く読まれ、著者の志は未来に伝えられてゆくに違いない。
(本書パンフレットより)