幕末戊辰の大兵乱は、奥州鎮撫軍参謀・世良修蔵の密書露見と同時に爆発した。
薩長中心の明治維新史に対して敗者の立場から鋭く問題を堤起し、
禁忌視されてきた世良事件を解明。「勝てば官軍」史観にぎびしく挑発する。
奥羽戊辰戦争と仙台藩 世良修蔵事件顛末
 藤原 相之助
 マツノ書店 復刻版 ※原本は昭和56年(柏書房)
   2009年刊行 A5判 並製(ソフトカバー) 258頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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『奥羽戊辰戦争と仙台藩』 目次
緒言 戊辰戦争をめぐる時代の動き
この書の成りし次第(藤原勉)

第1章 幕末の政局と仙台藩
薩長とその代表の行動
公議思想の来由と仙台藩 〜伊達慶邦の建白
建白問題の顛末
薩長の勢炎と京都の空気
旧幕府と仙台藩の関係 〜対薩長の情勢
薩長代表と仙台藩

第2章 仙台藩の行動と世良修蔵
一面進撃、一面勧降
荘内征伐も始まる
世良の行動と参謀局
会津藩説得とジャーナリズム
贋公卿と金の問題
世良の人物とその行動〜戸田主水の弾劾状

第3章 事件前夜〜世良の活躍
勧降と降伏願の経緯
降伏問題と転陣関係
同盟嘆願の準備
嘆願書の提出と届書
降伏に対する総督府側の意見
列藩の計画、九條総督の憂慮
世良の憤怒、嘆願の却下

第4章 破局
破局回避の運動
世良に対する憎悪と討払準備
世良醍醐の協議
密書の露現から斬殺まで
首級の始末と瀬上の行動
薩長人討払いの実行

第5章 事件の結末
醍醐少将の驚樗
密書の意義とその影響
奥羽越同盟とその結果
世良関係雑話

第6章 世良事件の影響
世良霊神碑と賞典
刑罰と報復
按察使府と渡辺判官
世良の改葬とその建費
報復回避と密書の問題
世良弔察の続出



 『奥羽戊辰戦争と仙台藩』
   萩市特別学芸員 一坂太郎
 明治維新、とりわけ戊辰戦争は日本国内に多くの禍根を遺した。勝者となった長州(山口県)に対し面白からぬ感情を抱いているのは、敗者となった会津(福島県)だと言われている。長州対会津。いまだマスコミの興味も、このあたりに注がれる。
 しかし長州などの新政権が、戦争回避に動いたとされる仙台藩にどのように接したかという問題もまた、大きいと思う。そのことは長州ではもちろん、仙台でも忘れられがちではないか。現在の宮城県仙台市は東北地方の政治経済の中枢で、人口百万を越える大都市だ。いまさら感情的になり、過去の歴史にこだわる必要は無いのかもしれない。

 仙台藩伊達家、六十二万五千石は東北きっての外様大名である。幕末動乱の中では、ほぼ中立的立場だった。それが戊辰戦争のさい、奥羽和平と会津藩救済を願い、奔走する。ところが「官軍」は、せせら笑うかのごとく仙台藩や米沢藩の思いを踏みにじり、会津藩の嘆願を一蹴して戦争に持ち込もうとする。少なくとも、仙台藩はそのように感じた。
 せせら笑い、踏みにじるのは誰か。それは「官軍」の威光を笠に着た、長州藩の世良修蔵だということになる。こうして、堪忍袋の緒が切れた仙台藩士による世良暗殺事件が起こった。それを機に奥羽の二十五藩は仙台・米沢藩を中心に同盟を結び、後日、越後の六藩も加わった。そして進攻してきた「官軍」との間に、激しい戦いの火ぶたが切って落とされたのである。これは、会津藩も予測しなかった展開だったようだ。
 世良暗殺の引き金が引かれたのは、世良の密書(同じ「官軍」参謀の大山綱良あて)が発覚したからだという。密書には「奥羽皆敵と見て逆撃之大策に致したく候」などとあり、仙台藩を激昂させたのだ。だとすればこの密書は、大きなポイントになってくる。

 仙台藩側から見た、藤原相之助『仙台戊辰史』が出版されたのは明治四十四年。これに対する反論を掲げた末松謙澄『防長回天史』十巻は、大正八年に出版された。反論では密書は偽書とする。あるいは頭注で、何度も『仙台戊辰戦史』が誤りだと指摘した上、付録の計百四十四頁にもおよぶ「東北人謬見考」「東北人謬見考論評答弁」でも、非難を繰り返す。
 藤原のさらなる反論が、このたびマツノ書店から復刻される『奥羽戊辰戦争と仙台藩』である。副題は「世良修蔵事件顛末」とある。昭和十四年脱稿だが、諸事情から出版されたのは同五十六年だ。
 巻末部分で藤原は、「これを要するに現存の史料として世良の密書の原本と称するものの真偽が判明しないからといって、その史実を否定しようとすることは、史料の鑑査と史実の考察を混同させるものである」と述べる。相手の論の一部を切り取り、水掛け論に引きずり込み、全体を否定しようとする手法で攻撃されたことをうかがわせる。
 あるいは巻頭では、「攻撃やら、嫌がらせやら、いずれも私の旧著を目がけて筆鋒を横め、仙台の郷土史家が云々と、恰も仙台藩の代弁者でも相手取るかのような口吻で、一学徒に過ぎない私の業績に難癖をつけている」と述べているから、よほど腹に据えかねることがあったらしい。藤原は「仙台藩の代弁者」と思われるのが、心外だったという点も注目したい。彼には郷土愛やお国自慢で叙述していないといづ自負があったのだ。だから世良に対する奥羽諸藩側の悪評も、「多少割引して考えなければならない」など、冷静な姿勢を保とうとしている。

 これらの史書を並べてみると、密書の真偽、戦争回避の有無といった重要な問題が、十分解決していないことに気づく。それは長州だ、仙台だ、といった郷土史の範囲にとどまらず、「明治維新」の本質にかかわる問題である。四年前に『仙台戊辰史』を復刻したマツノ書店が、このたび『防長回天史』と『奥羽戊辰戦争と仙台藩』を同時に復刻し、新しい読者の前に提示するという。「明治維新」を風化させないためにも、その意義は大きいと言えよう。
(本書パンフレットより)



世良修蔵の擁護者としての藤原相之助
  戦史研究家 長南政義

 名著『仙台戊辰史』で名高い藤原相之助が、本書を執筆する動機の一つになったのが、『近世日本国民史』の著者でジャーナリストとして令名の高い徳富蘇峰の来訪であった。自身も東北新聞社の政治記者として活躍し「西に福本日南あり、東に藤原非想あり」と称された藤原相之助と徳富蘇峰という操觚界の二大巨人の会見中、徳富より、「『仙台戊辰史』につき懇切な御話があったので、私はいよいよ旧著に対する責任を痛感する気持ちになった」と、藤原は述べている。つまり、『仙台戊辰史』の誤りを訂正することが本書執筆の動機を形成する要因となったのである。

 もう一つの動機として指摘できるのは、末松謙澄が偽書とした所謂「世良の密書」の真贋性の問題である。世良修蔵が大山格之助に宛てた密書は、世良処刑の決定的理由となり、延いては奥羽戊辰戦争の導火線となった重要文書であるにも拘らず、写しのみしか存在せず文書原本が未発見のままであるため、密書偽物説が主張されるようになった。藤原は、本書に於いて、当時の政治状況と密書関係書類とが吻合するか否かを検証する手法を通じて、「密書」の信憑性を証明しようと努めており、それが本書に推理小説を読むかのような面白さを附与している。

 しかし、本書最大の動機は別の所にある。それは、勤皇か佐幕か、官軍か賊軍かというイデオロギー性や怨讐を超えて、明確かつ確実な史実を基礎として、世良修蔵殺害事件の真相と世良修蔵の人間性を明らかにすることで、この両者に対する東北人の公正な史的認識を確立することである。そして、本書を通徹している公正な史観を証明するように、奥羽諸藩の記録に見られる「暴慢無礼、酒食に荒み、財貨を貧ぼり、士人の風トにもおけぬ」という世良修蔵に対するイメージを、藤原相之助は「昔風で諸事物堅い奥州武士の見た感想」であるから「割引」いて考える必要があるとして、世良修蔵を擁護している。
 つまり、世良修蔵を非難する理由として指摘される、紅灯緑酒の巷に出入りし、酔えば美人の膝に枕し、夢に天下の権を握るという、「志士の気風」は、「克己復礼」を武士の本分とする「奥羽士人」の価値観から見た場合に異質で損斥すべきものとして映ったにすぎず、酒食に荒むという世良修蔵像はそれを評価すべき人間の価値観の差に過ぎないというわけである。

 藤原相之助の息子である藤原勉は、「父は世良修蔵の理解者をもって任じて」おり、「世良事件が起らなくても戊辰戦争は避けられなかった、と考えていたようである」と回想しているが、本書を一読すれば、本書の存流を成している「官軍か賊軍か」というイデオロギーとは無関係の公平な史観を読み取れるであろう。

 末松謙澄が『防長回天史』を執筆した動機の一つに、『仙台戊辰史』への反駁があるとされている。今回、マツノ書店が、『仙台戊辰史』を補うものとして執筆された本書を『防長回天史』と同時復刻するのは時宜を得た措置であり、この機会に是非、『防長回天史』と本書との併読をお薦めしたい。
(本書パンフレットより)