戊辰戦には脱走兵を率いて百戦百敗。
維新後は政府功臣となり外交、技術革新に尽くした一代の風雲児、唯一の伝記
大鳥圭介伝
 山崎 有信
 マツノ書店 復刻版 *原本は大正4年
   2010年刊行 A5判 上製函入 683頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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ある敗将の記録――『大鳥圭介伝』
  作家 秋山 香乃
 大鳥圭介は長い間、損をしてきた。というのも、小説の中でどういうわけか大鳥は、将としての資質に欠け、実戦指揮においては実力が伴わない、そのくせ西洋軍術を学んだ自負とプライドだけは高い、鼻もちならない人物に描かれることが多かったからだ。小説だから作者の意向によって人物像は虚飾されるものだが、複数の作家が同じような描き方をしたためか、大鳥とはそういう人物だったに違いない、と信じた読者も多かったようだ。しばらくこの男の人気は低かった。

 それがここ最近、俄かに変った。本当はどんな人物だろうと、史料を手に取る人が増えてきたからである。そういう人々によって大鳥圭介は、逆境に強いポジティブシンキングの持ち主で、明るく魅力に富んだ人物だったらしいと、ようやく実像に近い姿が語られ始めている。

 大鳥という男は、薩長中心の新政府に最後まで抵抗を示し、五稜郭に立てこもった榎本武揚率いる箱館政府の陸軍奉行に選抜され、旧幕府軍を指揮して戦った敗将である。明治の世では、敗者としての虐げられた人生が待っていてもなんら不思議はなかった。

 が、実際は、明治五年一月までは獄中で過ごしたものの、赦免されてわずか十日足らずで開拓使御用掛に任命され、明治政府から月給百円を受けている。それから一月後には、大蔵少丞となり、外債発行という大任を受け、欧米へ渡るのである。十年後には、年俸四千二百円という大金を給付されている。
 かつての敵を取り立てた明治政府が、特別寛大だったわけではない。事実、大鳥ら箱館政府の幹部の処遇は、処刑と赦免が紙一重だった。それが助けられて右記の通りの出世となったのは、ひとえに大鳥の驚くばかりの人脈の広さに起因する。落ちぶれた男に世間がそっぽを向けるのはよく聞く話だが、大鳥の場合、薩摩の黒田清隆を中心に実に多くの知己が手を差し伸べた。そんな人物が魅力的でないはずがない。
 では、実像に近い大鳥圭介をかい間見ることができる書物とはなんなのか。それが、山崎有信著『大鳥圭介伝』なのである。

 大正四年に発行された本書は、全五編及び補遺で構成されている。
 第一編は、大鳥圭介の生涯を書簡や当時の記事を引用しつつ、比較的平易な文体で具体的且つ生々しく描きだす。前半は、戸数僅か十二、三軒しかない小村の医者の家に生まれた大鳥が、いかにして直参旗本まで上り詰めたか。幕府瓦壊後は、自ら育成した伝習兵を率いて新政府軍と干戈を交えたものの、敗戦に継ぐ敗戦。かつて砲術塾で教えた黒田清隆との、変わらぬ友情を胸に秘めたままの師弟対決と箱館降伏が描かれる。後半は、明治という激動の時代を活写する。それは、敗者の名を負った逆境の中で、枢密顧問官、男爵、正二位まで駆け上がった復活劇だ。悪条件をいかにして跳ねのけていったかを読み取ることは、混迷する現代を生きる私たちにとっても意義ある時間となるだろう。

 第二編は大鳥を知る者たちの談話集で、そこにいるだけで周囲を明るくした大鳥の人柄が、ほのぼのと伝わってくる。面白いのが、多くの名士が大鳥のことを、実戦下手だが、「誰も悪評する者もなかった」と証言していることだ。「大鳥さんは配下を派して戦はすと不思議に勝つ、自分が出ると必ず負ける」。そして負けたときに、「また負けたよハッハッ」と「にこにこして逃げてくる」というのである。だが、負けた言い訳を一切せずに笑い飛ばす大鳥の姿に、多くの兵が萎れることなく励まされ、明日もまた戦えたのだ。

 第三編は、「易簀及葬儀彙集」として大鳥亡き後に出た記事を集めて載せてあり、貴重な記録である。
 第四編、第五編は、それぞれ「逸事」と「詩歌」だ。ここには大鳥自身が獄舎内で書いた獄中記の一節が載せられているが、狭く暑く臭いと獄舎への不満を散々述べておきつつ、「この牢屋は予が一昨年建立せるものなり」と、実は自分が作った牢屋だと種明かしする下りは、悲惨な牢獄暮らしの中でもユーモアを忘れない大鳥のおおらかさが滲み出ている。また、維新前の若いころ、島津斉彬の望みで蒸気船の模型を作ったり、外国の本を読んだだけで写真の撮り方を会得したりした逸話は、この男の才気を今に伝える。

 最後の補遺は、大鳥自身の直話が記され、例えば緒方洪庵の塾で学んでいたころは、みな貧乏で、塾生六十人前後に羽織が三、四枚しかなく、みなで順ぐり回し着して外出したなど、面白い思い出話の数々に興味をそそられる。塾生の中には、大村益次郎や福沢諭吉などがいた。また、講演の記録や論説なども万録され、十分に大鳥の思想を汲み取ることができるのは嬉しい限りだ。

 乱世を波乱万丈に生き抜いた敗将の生涯を複数の視点で読ませる本書の構成上、どうしても同じ事柄の繰り返しがくどい印象を拭えぬが、それだけにあらゆる角度から大鳥圭介という人物を炙り出すことに成功していると言えるだろう。きついときほど笑って過ごした男の一生の記録である。今こそ、ぜひ一読して欲しい一冊だ。
(本書パンフレットより)