維新を先駆け惜しくも暗殺された竜馬の盟友・慎太郎 その先見性と波乱の生涯
中岡慎太郎先生
 尾崎 卓爾
 マツノ書店 復刻版 ※原本は昭和3年
   2010年刊行 A5判 上製函入 512頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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復刻に際して
■幕末、肥後を脱藩し尊攘運動に奔走した木曽源太郎(1839〜1918)の回顧録「回瀾余滴」(一坂太郎氏所蔵)全二十二項より「緒言」と「石川誠之助」(中岡慎太郎)の項を、新たに活字化し、巻末に付けました。
■B6判の原本を、A5判に拡大しました。


『中岡慎太郎先生』 略目次
『光次をやれやれ!』
鶏群の一鶴
尊王皇攘夷の発端
民心動揺と黒船の来航まで
徳川幕府の進退難
光次の修養時代
光次の生ひたち
梟雄井伊大老の惨死まで
里正時代の光次
公武合体と※藩勤王論
土佐勤王党の成立
光次と新井竹次郎
京洛の遊び
承久昔を偲ぶ岩佐の会合
伏見寺田屋騒動
光次再び京師に招かる
井上佐一郎の暗殺
久坂と倶に象山を訪ふ
中岡容堂を主席に直諫す
最後に踏む故郷の山河
父妻に生別して三田尻に脱走す
同志続々中岡の跡を追ふ
天誅組の義挙
長州の梁山泊
中岡薩藩の実情を探る
国士北添佶磨の人となり
家茂参朝と薩長の隔執
如雲の密法勤行を探る
如雲諜戮叡聞に達す
佶磨の家書と新撰組
乾呻一擲の快挙畧ぼ整ふ
佶磨以下二十余名闘死す
英雄的真骨頂
九問の役
決死して中立賣門に闘ふ
『中岡は土佐人の典型だ』
忠勇隊長に推さる
薩長連盟の萌芽
廿三士野根山の義挙
奈牟利川の殺戮二十有三
薩長連合運動の前提
西盛と薩長連合を策す
奇兵隊の蹶起
五卿の筑前遷座に隨ふ
「吾身可死而未死」
惨憺たる中岡の苦心
田中伯の懐旧談
桂、中岡の誠意に驚く
渡欧を断念す
警世の一大文字
薩長同盟漸く成る
中岡の殊勲を激賞す
寺田屋の難に赴く
萬重の意を籠めし家書
這個の消息
薩長同盟善後の苦心
関門の戦況
中岡の藩政改革論
天日の明を仰がん中岡の対策
『何か御為に相成る事をヽヽヽ』
三條岩倉の提携
『お互い国の為に命を捨やう』
中岡の第二回時勢論
大政返上策の経緯
軟硬両派の暗闘
愈々陸援隊成る
草奔を以て天下を動かさん
眼光炬の如き第三時勢論
坂本と大政奉還を議す
大政返上の幕
宮川助五郎を引取る
突如!刺客来る!
噫!出師未捷身先死
陸援隊士の復讐
功烈炳焉として永く青史を照す

【付録】 中岡慎太郎日記 幕末の三年史
自慶応元年元旦至同年六月十五日
自同二年十一月十六日至同年十二月卅日
自同三年一月元旦至同年八月卅日
柏木に遊びて

 『中岡慎太郎先生』は良い本だ
    萩博物館 一坂 太郎
 土佐を脱藩した中岡慎太郎が、高杉晋作はじめ吉田松陰・久坂玄瑞といった「長州志士」の詩歌を書き写し、人に贈ったものを見たことが何度かある。「志士」と称する若者は、とりわけ自己顕示欲が強かったようで、自作の詩歌を書き与えたがった。そんな中で他人の詩歌を書いていた中岡は、異色の存在に思える。一体、どんな心境だったのか。

 中岡が高杉・久坂に、傾倒していたことは確かだ。たとえば「第二回時勢論」では二人とも、機を見ることが出来る「非常の士」だったと絶賛している。あるいは、西洋が内戦を繰り返して今日の盛況に至ったことを忘れるなという意味の、高杉の言を引く。中岡は高杉らの詩歌を広めることで、朝敵である長州藩の理解者を増やし、同志のネットワークを築こうとしたのだろう。中岡は長州の宣伝マンとしての役も担っていたのだ。

 今回マツノ書店から復刻される尾崎卓爾(たくじ)『中岡慎太郎先生』にも、高杉没後のこととして、中岡が「魚見絲綸去 鳥窮矢弓飛 人情飜覆事 我早識其機」としたため、土佐の同志に示し、「此(こ)れは亡友高杉春風(晋作)国難中の作であるが、僕に取っては唯何となく涙の思出が(ママ)である」と語り、涙ぐんだという逸話が出てくる。この詩は人の世の常である裏切り行為を、弱い魚や鳥にたとえたもの。下関開港論を唱えた高杉が、身内の裏切りに遭い反対派から生命を狙われたさい作った詩だ。変革者の孤独と、人に対するある種の諦めが感じられる。浪士として苛酷な環境下で走り回った中岡にとっては涙が落ちる程、共感出来る内容だったようだ。

 こんにち、中岡と言えば坂本龍馬と一緒に暗殺されたという一点のみで、その名が知られている。龍馬英雄伝の脇役であり、ややもすると龍馬の女房役にされてしまう。しかし長州寄りである中岡の活動は、薩摩寄りの龍馬のそれとは異なる軌跡を描く。
 長州にせよ薩摩にせよ、水面下で中岡のような他国の浪士に危険な任務を与え、ずいぶんと利用して、見殺しにもしているが、その実態は十分解明されているとは言い難い。むしろ避けられて来たテーマのひとつで、講談小説における龍馬のヒーローぶりばかりが、まことしやかに伝えられる。なぜ、脱藩してまで地位や名誉、財とも無縁の危険な活動に身を投じる必要があったのか。現代だからこそ考えねばならない問題である。

 そのための参考文献として期待出来る『中岡慎太郎先生』だが、『中岡慎太郎』の題で大正十五年十一月、青山書院から出たのが初版だ。さらに時代背景などが書き込まれ、史料も追加された増補改訂版『中岡慎太郎先生』が昭和二年十二月に坂本・中岡両先生銅像建設会から出て、版を重ねた。初版は本文三七八頁だが、増補改訂版は五〇二頁もある。著者が並々ならぬ情熱をもって、繰り返し手を加えたことがうかがえる。このようにゴツゴツとした手触りがする本は、私に言わせると「良い本」だ。

 なお、著者の尾崎卓爾について、中岡と同郷という以外私は何も情報を持たない。以前国会図書館で調べたら、尾崎の著書として他に『弔民坂本志魯雄』(昭和七年、弔民会)が見つかったくらいだった。坂本は土佐の自由民権運動家で、国会議員になった人物である。
(本書パンフレットより)

日本で初めての伝記『中岡慎太郎先生』
   中岡慎太郎館学芸員 豊田 満広
 幕末ファンが坂本龍馬を語る際には必ずと言っていいほど中岡慎太郎が登場し、二人が最強のタッグパートナーないし親友として語られる。では、中岡慎太郎がどんなことをした人物か?と問えば、坂本龍馬と一緒に近江屋で殺された人、あるいは龍馬と一緒に薩長連合を成立させた人、というのが大方の返事だろう。
 これは中岡慎太郎に関する史料の現存数が少ないことによる。

 龍馬の手紙の現存数が一三五通(文献に記録されている手紙も含む)なのに対して慎太郎は六二通である。その記述は必要最小限の事しか書かず、重要事項になると詳しい事はお会いしたときに申し上げます≠ニいうものが多い。また署名もほとんどが変名である「石川清之助」で、「中岡慎太郎」は四通しか伝わっていない。さらに、薩長連合に奔走している時期は「寺石貫夫」、「大山彦太郎」、陸援隊結成の時期は「横山勘蔵」など事業ごとに名前を変えている。中岡慎太郎を調べる際はこれらの事を留意しなければならない。

 そこで、『中岡慎太郎先生』の復刊は、「幕末の志士」慎太郎の人物像、活動内容等を知る上で欠かせないツールとして貴重である。
 『中岡慎太郎先生』は、初版本『中岡慎太郎』(大正15年11月26日発行)を増補改訂して、昭和2年12月30日発行された本である。いわば最初に書かれた中岡慎太郎の伝記である。小説的な叙述であるが、郷土の英雄として語る初版本と異なり、増補改訂版は幕末政局の動向や慎太郎年譜など二五〇余頁の原稿を加え、幕末政治の中に慎太郎の活動を位置づける叙述に変わっている。また、本書には慎太郎が書いた「海西雑記」、「行行筆記」一、二と題した日記三冊が収録されていることも特筆すべき点である。

 最後に著者の尾崎卓爾(1893〜1958)ならびに彼の執筆動機を紹介する。
 尾崎は、中岡慎太郎の故郷、高知県安芸郡北川村の出身。明治大学を卒業後、土陽新聞社速記部長、徳島日日新聞東京支局長などを務めた。執筆の動機は、父熊吉が語る慎太郎の話を聞きながら育ったこと、「優れた才略と胆力と人格を有した人物で、回天の大業を空拳に築き、維新の元勲として功績最も多く、稀世の英傑」であるのに北川村には慎太郎を称える石碑すらないことを嘆く父の言葉に一念発起した、と巻頭の序文で述べている。

 尾崎の執筆を知った元陸援隊員田中光顕は、資料提供および様々な助言を行うなど積極的に協力している。そして昭和二年、北川村柏木の慎太郎顕彰碑の除幕式にも参列するなど慎太郎顕彰に関わっている。
(本書パンフレットより)