秘書が見た両首相と激動の明治!
伊藤公と山縣公
 小松 緑
   マツノ書店 復刻版 ※原本は昭和11年
   2010年刊行 A5判 上製函入482頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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『伊藤公と山縣公』 略目次
第一 両雄の特色と性癖その夫人に対する愛情
第二 両雄を巡る群像和戦に対処して外硬内軟か面密腹剣か
第三 露太子襲撃事件明治天皇の英断
第四 畠山勇子の自刃ラフケーディオ・ハーンの感激
第五 行政権と司法権の衝突裁判官の賭博事件
第六 文治と武断の岐路俊輔の修学と狂介の力闘兵制統一と山縣の武功
第七 山城屋事件と大西郷の山縣援護西南役と竹橋事件山縣の軍事改革
第八 憲法制定と伊藤の文勲大阪会議の内幕議会制度発祥の前夜伊藤の渡欧と山縣の留守役



 政局混迷の現代にこそ
   國學院大學法学部教授 坂本 一登
 福山雅治主演のテレビドラマ「龍馬伝」の人気が高い。美男子の俳優の魅力もさりながら、普段あまり歴史物をみない若者まで惹きつけるのは、やはり龍馬というキャラクターの魅力だろう。幕藩体制が行き詰まり先が見えない幕末にあって、さっそうと混沌の中に飛び込み、既得権益のしがらみを笑い飛ばしながら新時代を切り開いていった龍馬のような人物は、うんざりするような政治と金の話ばかりの現代日本にあっては、確かにきらきらと輝いて見える。政治が混迷を深め、将来の見通しが立ちがたい時ほど、人は歴史を振り返り、どこかに希望を見いだそうとするのだろう。

 もっとも、政治の混迷は、現代の専売特許ではない。昭和初期も、危機の時代であった。対外的には満州事変をきっかけに国際的孤立を深め、国内では政党内閣が崩壊する一方で、軍部の派閥対立がきしみをあげていた。多くのひとが、政治の行く末を危ぶみ、遠くなる明治を不安げに見つめていた。こうした危機のなかで、小松緑は『伊藤公と山県公』を書いた。「現代日本が東洋孤独の一小国より一躍して世界有数の文明国となり、今や富強を天下に誇らんとする優位に登るに至った由来因縁」を伊藤博文と山県有朋という二人の政治家を軸に描くことによって、伊藤や山県のような「献身奉公の大精神に終始する経世家が奮起して警世の木鐸たらん」ことを心から願ったのである。
 『伊藤公と山県公』は、元来は新聞に連載した記事を元に、昭和九年に『春畝公と含雪公』として出版されたものが底本で、二年後に改めてより読みやすいように漢字に総ルビをふり版組をゆったりさせて刊行したものである。内容は、日露戦争前夜、大津事件、明治初年の陸軍の建設と立憲政の導入など、近代日本の岐路となった場面における伊藤と山県の政治指導が中心で、それに加えて両者に寄り添う家族や関係の深い政治家たちの多彩なエピソードが織り交ぜられている。

 新聞に連載したものではあるが、著者の小松は、外務官僚として政治の中枢に関与した行政経験をもち、また『明治外交秘話』や『伊藤公直話』などの編著書もある人物で、小松自身可能な限り史実を調べ公平な立場で叙述したと述べているように、単なる古老の思い出話などではなく、政界の内幕に立ち入った記述も少なくない。実際、興味津々と読み進めていくうちに、自ずと明治政界の大きな流れと主立った人物のひととなりが眼前に彷彿としてくる。それゆえ、以前から、研究者や小説家にとって明治期の政治や政治家をイメージする際の密かな種本のひとつとなってきた。ほんの一例だけあげれば、大津事件は専ら司法権の独立の視点から語られることが多いが、それほど単純な話ではないことが後日談と共に語られてよく分かるし、政治家でいえば名脇役、藩閥政府の潤滑油だった西郷従道のユーモラスな姿など忘れがたい。

 しかしなんといっても、本書の最大の魅力は、小松自身が親しく接した伊藤と山県についての「秘話」が臨場感をもって語られていることである。ある時期、遊び好きだがイエール大学出身の有能な外務官僚でもあった小松は、偶然の因縁で山県と伊藤から相前後して秘書官に就任することを求められた。結局、山県の場合は外からの故障が起こって果たさず、伊藤の場合は小松の都合で断ったが、その経緯や広がった波紋から、山県の「信賞必罰」と伊藤の「不拒不追」という政治スタイルの違いがあざやかに浮かび上がる。その他にも伊藤の日露戦争開戦前夜のここぞという時の肝のすわった対応や、強面の山県の司法官弄花事件における知恵者ぶりなど、興趣は尽きない。そして最後に、伊藤と山県は、スタイルが対照的であるがゆえに対立のみが強調されがちであるが、それは皮相な見解で、「両公の間には、万事につけて、余人の揣摩を許さぬ心通黙契がチャンとできていたのではあるまいか」と小松は結ぶのである。記憶するに値する言葉ではあるまいか。
(本書パンフレットより)


  激動を生き抜いた二人の首相
   作 家 秋山 香乃
 吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬……多くの人物が命を散らせた幕末を、「乱世」と表現して反対するものはいないだろう。が、明治はもっと激動で、西郷隆盛、江藤新平、大久保利通ら……やはり多くの命を呑みこんだ。

 本書は、これらの時代を実にたくましく潜り抜け、幾多の火の粉を払いつつ、一国の頂点まで駆け上がった二人の傑物――伊藤博文と山縣有朋の記録である。堅苦しい記録ではない。筆者の見聞きした多くの逸話を丹念に重ね、二人の人柄と生きた時代を浮き彫りにしてある。例えば、二人の性格の一面は、次の話によく現れていると言えるだろう。

 博文は首相になってからも、妻の梅子夫人を、「おかか」と呼んだ。「おかか」は下関の芸妓上がりだが、出世前の博文を、「身を捨てる覚悟で」擁護したといわれている。
 未だ世の中では、攘夷熱が沸騰していた幕末。ロンドン帰りで開明的思想に開眼していた博文は、攘夷家たちに「奸賊」と呼ばれ、常に命を付け狙われた。このため、「おかか」は危険を覚悟で博文を匿っただけでなく、短刀を懐に彼を尾行し、蔭ながらその身辺を護っていたというのである。刀で斬り掛かってこられたら、女の揮う短刀など、どれほどの力も発揮しない。おそらく刺客が現れたときは、自分の身を盾に、命を捨てて愛する男を救う覚悟でいたのだろう。

 博文も「おかか」を慈しんだ。彼はもっとも尊敬する人物を訊かれ、人君以外は「おかか」のみと公然と答えたそうだ。絶対的男社会の明治の世に、稀有な答えに違いない。

 一方、晩年だけを見れば無口で「謹厳一遍の木強漢ででもあったように思われ」ていた山縣有朋も、「おこし屋殿様」などという愉快な綽名で呼ばれていた時代もあったらしい。「体を絞ってみろ。血が出ないで、酒が沸いて出るぞ」と言われるほど酒豪で、意外にも宴会好き。本書の筆者に言わせれば「顔に似合わぬ粋人」だった有朋は、歌や踊りが大好きだった。このため、おこし売りが鉦を敲き、滑稽味のあるヨカヨカ節を唄いながらやってくると、もうたまらない。座敷を飛び出し、お菓子を買ってやりつつ、一緒になって唄ったり踊ったりしたのだという。 博文は、初代内閣総理大臣を筆頭に四回も首相を務めた。有朋は彼ほどではないが、それでも二回、務めている。どちらも長州出身、博文は農民(のち足軽)、山縣は蔵元仲間という、極めて低い身分からの出発だ。
 
なぜ、そんな転身ができたのか。乱れた世が既成の身分制度を御破算にしたと言えば、そうに違いない。目を見張る好機はいつもカオスの中に仕込まれている。だが、誰もが好機を掴み、活かせるわけではない。二人がそれを不利な条件下で掴み取り、最大限に活かしてきた断片を、本書の中に読み取ることは、幕末・明治の混沌に似ているとも言われる現代を生きる我々に、きっと何かを示唆してくれるに違いない。

 殊に博文について書かれているところを、注意深く読んで欲しい。そこには人の心が動く瞬間、博文に誰かが心酔する刹那が見事に捉えられている。彼は心の機微を察することに長けている。それも、目端がきくという範囲に留まらない。いわゆる「人たらし」の域にいる。
 博文は、物事をいつも多角的に見つめていた。必ず他者の立場や視点を慮り、自分の見ている景色を一度は白紙にし、相手の目で見直していたに違いない。だからこそ彼の他者に向けられた言動は、相手の心のど真ん中を貫く力を持っていたのだ。

 二人の歩んできた歴史は、そのまま我が国の歴史でもある。本書には当時の有名事件の裏舞台の緊迫が、これでもかと活写される。大津事件、廃藩置県、山城屋事件、佐賀の乱、西南の役、竹本騒動、日露戦争、日英同盟。
 大津事件では、「判事の法理論」と「大臣の国家論」が真っ向から対立し、国を揺るがすさまが克明だ。それは、日本を守るために法律を曲げようとする国家権力者たちと、近代国家の条件である法治国家に脱皮したはずの日本の司法を守ろうとする法律家たちの闘いの様だ。

 日露戦争のくだりでは、有史以来、日本の外交がもっとも光った時期だったことが読み取れる。戦は終わらせるのが難しい。開戦前、日本はすでに講和に向けて動いていた。その中心にいたのが博文と有朋だ。
 他にも江藤新平逮捕の瞬間や、西郷隆盛の首実検、当時の大警視川路利良が、黒田清隆の婦人殺しの捜査に当たり、死体を掘り出して検分する様子まで生々しく描かれている。

 もちろん事件だけでなく、二人以外の人物も生き生きとつづられる。「文盲卿」「なるほど大臣」「饒舌家」「貧乏徳利」――誰について描かれているのかは、ぜひ一読願いたい。
(本書パンフレットより)

 
  独立を貫く明治日本の志
 萩博物館特別学芸員 一坂 太郎
 吉田松陰と言えば、志の人として知られる。松陰の志とは、日本という国の独立が維持出来るよう働くことであり、事実そのために命を失った。そこが松陰最大の魅力だと、私は思う。現代の我々は、日本が独立国であることが、ごく当たり前と思い慣れきっている。ところがわずか百数十年前、資本主義を確立した欧米列強がアジア各地を次々と侵食する中で、日本の独立も大いに危ぶまれた。弱肉強食のルールの中では、誰も助けてはくれない。

 いかにして外圧を撥ねつけるか。その問題に官も民も、心ある者は懸命になって取り組んだ。さまざまな対立が起こり、数々のドラマも生まれた。討幕、そして明治政府誕生を「明治維新」と呼ぶむきもある。しかしそれは、国内における政権交代が行われたという、ひとつの通過点に過ぎない。

 最近も我々は、劇的な政権交代劇を目の当たりにした。しかし早くも多くの問題が根本的に解決しないことに、国民は苛立ちを感じはじめているではないか。政権交代そのものが目的ではないからだ。天皇を頂点とする明治政府が誕生したからと言って、世界の中で独立が約束されたわけでも何でも無い。アジアを餌食にする列強にすれば、ある意味で知ったことではないのだ。

 そのあたりを明治以来の歴史教育は、どこかごまかして来たように思う。天皇制国家が出来、自分たちが権力を握ったらそこでめでたし、めでたしで終わり。いまもって「維新の勝者」を自負する地方に色濃く残る、お国自慢調の歴史だ。だから「明治維新」以後の、明治の先人たちの独立を維持するために払われた血のにじむような努力は、幕末の「勤王の志士」たちの英雄譚に比べ軽視されてしまう。天皇の下で法を作ったり、軍隊を作ったりと、国の形を整えてゆくことで、日本は初めて外圧をはねつけ、もがき苦しみながら独立を貫いたのだ。そのことを現代日本人は、もっともっと知らねばならない。

 松陰の志を継いだ門下生は、伊藤博文と山県有朋だと思う。伊藤は文で、山県は武で、それぞれ最大の努力を続けた。伊藤の身近にいた小松緑が著した『伊藤公と山県公』は、雅俗自在に生きた二人を中心とする明治人たちの逸話集だ。

 目次を見れば分かるが、大阪会議、西南戦争、国会開設、大津事件、三国干渉、日英同盟、日露戦争といった歴史上の大事件から、二人の女性関係に至るまでその内容は多岐にわたる。黒田清隆の妻殺し事件や、大津事件後に自決する畠山勇子の逸話まで出て来る。

 紹介順が時系列ではないのは惜しいが、それでも一読すれば小松緑が見た、二人を中心とする生々しく強烈な「明治」が浮かび上がる。独立を貫く過程がどのようなものだったかを、知ることが出来るだろう。たとえば「世間では兎や角言うてゐるが、日露戦争をやつたのは僕だよ。山県なんぞはから駄目だ。腰へサァベルをさしてゐるが、僕は腹へサァベルをさしてゐるんだ」といった、山県を前にした伊藤の発言など、その気概に驚かされる。語録として読み進めても興味深い。

 最近、明治時代を強い日本、美しい日本の伝説に祭り上げてしまおうとする風潮を感じている。果たしてそれでいいのか。いま一度、同時代人の手による『伊藤公と山県公』を読みながら、考えてみたい問題が多々ある。
(本書パンフレットより)