生々しい歴史を伝え読みやすい明治維新実録談中の白眉!
維新史料編纂会 講演速記録 全3巻
 続日本史籍協会叢書
 マツノ書店 復刻版
   2011年刊行 A5判 並製(ソフトカバー) 計1303頁 分売不可 パンフレットPDF(内容見本あり)
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  『維新史料編纂会講演速記録』の魅力
    広島大学大学院教授 三宅 紹宣
 実歴談の魅力は、体験者ならではの臨場感が、直接伝わってくることであろう。そこには、文書史料からはうかがえない、生き生きとした歴史が脈打っている。もとより話者の誇張や記憶違いには、注意を要するが、それを差し引いたとしても、実歴談からは、様々な有益な情報をくみ取ることができる。
 本書は、明治維新の実歴談中の白眉である。収録されているのは、明治末から大正初めにかけて彰明会、史談会、温知会において行われた講演速記四二本。その中から、特に興味深いものについて紹介してみよう。
 板垣退助「維新前後経歴談」は、幕末の複雑な政治過程をきわめて明解に語っている。そこには、政治的配慮というオブラードに包んで記述されることが多く、真意がつかみにくい文書史料の世界とは異なり、複雑な人間関係を生き抜いた実感がこもっている。

 慶応三年(1867)の土佐藩は、党派が入り乱れて複雑な動きをする。五月、板垣は、京都で薩摩藩と討幕挙兵を約束し、西郷隆盛も同意したと語っている。そこで板垣が土佐に帰って軍隊編制をしていると、薩土盟約を結んだ後藤象二郎が帰り、大政奉還の建言を山内容堂へ行い、これが採用されて、板垣は参政をやめさせられた。討幕を決断している西郷が、なぜ大政奉還に賛成したかについての西郷の考えは、鹿児島の方も最後の決心が出来ないものに見え、先ず大政奉還に一つの階梯を踏んだほうがやり易いので、一時的に同意したというものであったと証言している。これは中岡慎太郎も同様であった。

 ただ、坂本龍馬は、大政奉還は自分の立案なので、これは行われると見ていた。そこで中岡は、坂本の挙動に注意すべしと、同志に告げていた。その中で、十一月十五日、坂本と中岡は暗殺されるが、陸奥宗光などは、初めは「坂本と中岡がやり合って、刺し違えた」と思ったという話を伝えている。これも、当時の実感として重要であり、坂本の政治的位置を知ることができる。

 坂本の慶応三年の政治思想については、意外と史料が少なく、謎に包まれている。解明すべき重要課題であるが、その解明のために、これらの実感は、大いに参考となろう。
 坂本については、尾崎三良「維新前実歴談(七卿落の事歴談)」も興味深い。尾崎は、三条実美に仕え、その行動に従ったことにより、七卿の周辺の動きが生き生きと語られている。それとともに、慶応三年、見聞を広めるため長崎に行ってからの話が、精彩に富んでいる。長崎で坂本から誘われて、後藤象二郎を助けるために、京都に上ることになった。坂本らの一行は、途中土佐に寄って、十月七八日頃、京都に入り、醤油屋(近江屋)に一緒に旅宿していた。大政奉還が成り、これからの政治をどうするか坂本と話し合い、職制草案を作ったことを語っている。細かい内容は、直接本書にあたってもらうほかないが、文書史料と突き合わせることにより、坂本の政治思想がより鮮明になるであろう。

 田辺太一「幕末の外交」は、幕府の外交畑で実務の第一線に当たっていた者らしく、リアルな内容が含まれている。文久三年から元治元年(一八六三〜四)の横浜鎖港談判については、その考えがどこから起こったかについて、一橋慶喜の腹から生まれたとしている。そして、フランスヘ渡ってからの談判において、フランスの外務大臣が、七〜八回も会って幕府の言い分を聞いてくれたと話している。ヨーロッパ情勢が混沌とする中、多忙の外務大臣が時間を割いて談判に応じるのは異例であり、外交の実感として重要である。そして、その意図が、幕府を援助することによって緊密な関係を築こうとすることにあったとしている。このことは、以後の幕府とフランスの関係を見る上でも参考になる。
 その他、慶応三年のパリ万国博寛会の時、日本からの出品に、幕府とともに薩摩藩が出品したが、「薩摩太守政府」という名札を付けた話を語っている。その頃、諸藩は、政府と呼んでいたため、政府という名札となった。これがそのままフランス語に翻訳され、フランスでは、日本国には二○○諸侯があり、おのおのその国の政治を行っているように受け止められた。藩庁を政府と呼んでいたことは、長州藩関係の速記録にもしばしば見られるが、言葉が国際問題にまで波及した話は、体験者ならではの実感であろう。

 以上は、本書の内容の一端を紹介したに過ぎないが、他は直接その速記録に触れて、話者の口ぶりとともに味わっていただきたい。話は、それ自体としても面白いし、文書史料による研究を補う上でも参考になること大である。本書を推薦する所以である。
(本書パンフレットより)


歴史の不発弾の魅力
   萩博物館特別学芸員 一坂 太郎
 当たり前のことだが、歴史研究は対象とする時代が現代に近ければ近いほど、ある種の生々しさが付きまとう。しかし、その印象も僅かな世代の差により、随分と異なる場合があるようだ。
 私がこの道に足を踏み込んだ二十余年前は、明治生まれのお年寄りが、そこかしこに健在で、やれ、乃木希典があそこの学校に来たとか、井上馨が大演説をぶったせいで日射病になって倒れたとか、そういう話を延々と聞かせてくれた。子供のころの他愛もない思い出話なのだが、乃木や井上の本物を見たというだけに物凄く魅力的だった。お陰で明治維新が何かと身近に感じられたものである。ただ、こうした話を聞くことが出来たのは、私の世代が最後のようだ。

 私よりも年少の研究者になると、そうした経験がほとんど無い。一方、年長の研究者は意識する、しないにかかわらず、もっと面白い話を聞いておられるはずである。それが、それぞれの明治維新観に何らかの影響を及ぼしていると思うのだが。だから後進のためにも、自ら体験された生々しさを、少しでも伝えておいていていただきたいと思う。
 このたびマツノ書店から復刻される『維新史料編纂会講演速記録』は、明治の終わりから大正のはじめにかけて集められた談話だ。田辺太一、北垣国道、板垣退助、船越衛、尾崎三良らといった明治維新に直接関与した者と、次の世代である中原邦平らの談話速記録が交じっている。維新から半世紀が経っており、過渡期だったのだろう。そのような時期に、これだけの談話を集めてくれたことに、まずは感謝したい。

 この本を私は、大学生のころ興味深く読んだ。手にしたきっかけは、自分の先祖がかかわったある事件につき、ゆかりの人物が語っていたからだ。読み進めると、八十年という歳月を越え、その人物が眼前に現れたかのような錯覚におちいった。どんな喋り方をし、どんな思いでいたかが分かり感無量だった。当時の聴取者と感激を共有出来る。それが、速記録の大きな魅力のひとつだろう。

 そのころ、他に面白いと思ったのが黒河内良の「薩長連合の発端に就て」。黒河内は、一所に入牢していた久留米の古松簡二から聞いたという話を披露している。古松は水戸の斎藤佐次衛門と共に、四国琴平に亡命中の長州藩士高杉晋作を訪ね、薩摩藩との和解を説く。ところが、晋作は二人の浪人の話には乗らなかった。薩摩藩がその気なら、ちゃんとした使者を寄越して来ると考えたからだ。ただそれだけの逸話で、いかにもプライドが高い晋作らしいが、管見の晋作伝記などには紹介されていない。

 周知のとおり同じころ、土佐の坂本龍馬が長州下関に桂小五郎を訪ね、薩摩藩との和解を説いている。晋作と違い、桂はこの話に乗ってしまうのだが、西郷は下関に来なかった。こちらの逸話は、幕末史の一場面としてさまざまな文献に紹介されている。さらに劇的に小説化、映像化されて人々を酔わす。
 だが、龍馬以外にも水面下で薩長間を暗躍していた浪人たちがいたという回顧談は、私にとり新鮮な驚きだった。埋没していた不発弾が、地上に引っ張り出されたような感じである。これを読んだ時、表面上に残る歴史とは何なのかを、考えさせられたことを憶えている。しょせん人間が紡いでゆく歴史の陰には、あちらこちらに不発弾が転がっているのではないか。以来、こうした回顧談を読みながら、歴史の中の不発弾を探すのが楽しみになった。
 龍馬が晋作の所に、古松が桂の所に行っていたら、昨年の大河ドラマの主人公はあるいは違っていたかも知れない。
(本書パンフレットより)