初の本格的な木戸孝允伝
松菊餘影
  足立荒人
   マツノ書店 復刻版 ※原本は明治30年
   2012年刊行 A5判 並製(ソフトカバー) 310頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
    ※ 価格・在庫状況につきましてはHPよりご確認ください。
マツノ書店ホームページへ



『松菊餘影』 略目次
幼時 孤剣長鋏 斎藤塾 有備館の都講(上中下) 長亭短駅 秀気英物 斡旋勧誘 京洛の風塵姉 小路少将の横死(上下) 将軍御迎論(上下) 勇往奮進 嫉風妬雨 四面楚歌(上下) 忙裏閑談 田螺の化物 悲風惨雨玄関の大砲 路上の放尿 橋下の乞食 寡婦と同居 弧耶狸耶帯の高い町人 三味線の胴 高杉大に桂を罵る 木戸準一郎と改む 西郷来たらす木戸怫然木戸黒田の会見(上下) 敵の監察を還放す
木戸将に捕はれんとす(上中下) 薩長土連合 坂本木戸の書状を利用す(上下) 木戸坂本中岡の墓に題す 神戸及び堺事変の処分(上下) 五箇条の御誓文公示の困難耶蘇教徒処分 御即位式の地球儀幕府非恭順派の処分 経倫の大策行はれず 忙裏関筆 脱退騒動(一〜七) 新聞雑誌の創刊 廃藩置県(上下) 欧米漫遊(一〜六) 征韓論の破裂佐賀騒動 台湾征討再び参議となる 木戸対島津板垣の衝突(上下) 聖駕別送へ臨幸 熊本秋月及び萩の乱 西南の役(上下) 大星隕牟 
結論

■巻頭別刷・題辞 
 山県有朋、西郷従道、勝海舟、佐々木高行、野村靖、鳥尾小弥太、渡辺昇、品川弥二郎、田中光顕、杉重華(孫七郎)、福羽美静、楠本正隆、木戸孝允より福羽美静宛書状。福地桜痴ほか。
※A5からA3判以上まですべて原寸。

  本書の叙述と内容 
   佛教大学教授 青山 忠正
 成立経過と著者  
 本書の底本、足立荒人著『松菊餘影』は、明治三十年(1897)七月に、春陽堂から刊行された。題名は、木戸孝允の雅号「松菊」にちなむ。
 木戸孝允(慶応元年九月、桂小五郎から改名)が京都鴨川畔の別邸で病死したのは、明治十年(1877)五月二十六日である。その直後から『東亰日日新聞』は社説で、木戸の略伝を六回にわたって連載した(五月二十八日〜六月四日。二十七日は日曜で休刊日)。筆者は桜痴福地源一郎である。折から西南戦争の最中で、木戸が死の二日前に、「西郷モー大抵ニセンカ」と大声で呼んだことは、第六回(六月四日)で紹介された。このせりふは現在では広く知られるが、この記事が初出である。
 右の事実からも察せられるように、木戸に対する人々の関心は高い。没後五十周年の昭和二年(1927)には、決定版とも言うべき、妻木忠太ら編纂の『松菊木戸公伝』上下二巻が明治書院から刊行された。その前後から現代に至るまで、簡単なエピソード集や小説風のものまで含めれば、木戸伝と呼べる書物は、数え切れないほど存在する。
 そのなかで『松菊餘影』は、もともと『讀賣新聞』朝刊に、明治二十九年(1896)四月二十六日(日曜日)から八月十一日(火曜日)まで八十一回にわたり連載された記事を、翌年に単行本として刊行したものであり、初の本格的な木戸孝允伝である。

 内容について
 内容はあくまでも人物伝だが、木戸の生涯を通じた、さまざまなエピソードを主体に綴られている。詳細な政治過程の叙述や、権力構造の分析といった視点は、この当時、成立していないので、その文体は、かえって現代の読者にも、たいへん親しみやすく、分かりやすい。それに、文献史料が現代ほど整備されていないので、著者は、主に関係者からの聞き取りを材料に叙述しているようだ。そのエピソードを少しだけ紹介してみよう。
 木戸は、天保四年(1833)、長門国萩城下に生まれた。実父は、毛利家の家臣で医師の和田昌景である。この昌景は、だじゃれが大好きで巧みだった。隣家に佐伯丹下という者があり、古武具の鑑定を得意としていた。ある日、昌景が佐伯に、我が家には先祖伝来の具足があると告げると、佐伯は大喜びで和田家にやってきた。ところが家内を見渡しても、幼い小五郎が座敷にいるだけで、それらしきものは見えない。佐伯が不審に思って問うと、昌景は小五郎を指し、「あれじゃ、あれが愚息(具足)じゃ、しかも先祖伝来ぞよ」。佐伯は呆然として、返す言葉がなかった(二頁)。本書は、この挿話から始まる。

 坂本龍馬との交流に詳しく触れている点も、特徴の一つである。例をあげれば、慶応二年(1866)正月二十三日夜、伏見の寺田屋で、龍馬が奉行所捕り手に囲まれ、危うく逃げ出すという事件があった。このとき階下の風呂場にいたお龍が、異変に気付き、そのままの姿で駆け上がり、急を告げたという。この話は、坂崎紫瀾が龍馬をモデルにした政治小説『汗血千里駒』(春陽堂 明治十六年)で取り上げ、世に流布した。『松菊餘影』では、その叙述に続けて、のちに木戸が龍馬と会った際、「己も一ぺん裸体で御注進と云ふ様な、有り難い目に遭て見たいがのう」とからかうと、「龍馬、頭を掻き掻き口の内にて何かむしゃむしゃ茶を濁す」(110頁)。この辺りは小説調で、真偽のほどは保証できないが、明治の史伝に、その意味での厳密さを望むのは筋違いである。むしろ、こうした記述を、読者は、どう受け止めていたのか、新聞メディアあるいは人物伝に対する需要のあり方という観点から、考えねばなるまい。
 右のような例ばかりでは、ただのエピソード集と思われかねないが、専門研究者の視点から、見逃せない話も出てくる。明治四年(1871)七月、知藩事の一斉免官(いわゆる廃藩置県)が行われるが、木戸はその首謀者の一人だった。通達が行われる当日の七月十四日、呼び集められた諸藩大少参事(本書では「留守居」)たちが、ただ呆然として一言も発しなかったなかで、鳥取藩の沖守固だけは一人、山口藩の杉孫七郎に向かい、「今日はおめでとう存じます」と祝いを述べた(209頁)。鳥取藩は、明治元年当時から、領有制の解消について積極的な姿勢を見せていた。木戸が文明化に向けた世論喚起のため、四年五月に創刊した『新聞雑誌』(202頁)の第八号には、「池田(慶徳)元鳥取藩知事」の、郡県制を是とする上書が掲載されたほどだった。そのような背景を踏まえれば、右の沖権大参事の発言は、さもありなんと思わせるだけの迫真性を持っている。その「事実」は、政権奉還から版籍奉還を経て廃藩置県に至る政治過程を、より深く理解するための大きな手がかりを与えてくれる。

 本書は、おおむね以上のような内容を持つ。維新期の人物伝として、時期が早く、しかも叙述として信頼性が高いのは、島田三郎『開國始末 井伊掃部頭直弼伝』(輿論社、明治二十一年)、勝田孫弥『西郷隆盛伝』(西郷隆盛伝発行所 明治二十八年)などである。憲法発布(明治二十二年)を契機に、明治という時代の始まりが改めて意識され、「御一新」と、それを担った人物が歴史的な存在として位置付けられてゆく。『松菊餘影』も、そのような歴史意識形成の一環を担うのであろう。明治二十年代から振り返った「幕末・維新」という構図が出来上がってゆく過程を捉えるうえで、史学史的な史料という性格をも、本書には見出しうるのである。
(本書パンフレットより)