幕末から日清・日露戦に至る波乱の生涯を詳述した決定版伝記
元帥公爵 大山巌 全3冊(附図・年譜とも)
  大山元帥伝刊行会編
  マツノ書店 復刻版
   2012年刊行 A5判 上製函入 953頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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『元帥公爵 大山巌』 略目次
序文 口絵
第1章 大山家の家系
第2章 生立と立志
第3章 精忠組脱出計画事件
第4章 寺田屋事件
第5章 薩英戦争と決死隊
第6章 江川塾入門
第7章 戊辰前の活躍

 第一次征長役従軍
 西郷隆盛と京洛の生活及び国事の奔走
 洋式銃器の購入
 王政復古大号令渙発当時 の活躍
 五卿を筑前に迎ふ
 日之御門前天覧調練と第二番砲隊長

第8章 明治戊辰役

 鳥羽伏見の戦闘
 東征と江戸開城
 総野の戦
 白河の激闘
 三春の降伏と二本松
 会津若松城陷落
 元帥の凱旋

第9章 英医「ウヰリス」の招聘

第10章 薩藩兵制改革
第11章 国歌「君が代」の選定
第12章 普佛観戦と歐洲軍事視察
第13章 仏国留学
第14章 明治十年役

 陸軍省第一局長と熊本鎭台司令官の兼任
 私学校黨の勃発と陸軍卿代理の元帥
 元帥の出征と田原の戦闘
 別働第五旅団司令長官たる元帥と熊本附近の掃蕩戦
 鹿児島方面の戦闘と軍団本営出張所に於ける元帥
 都城方面の戦闘と別働第三旅団司令長官たる元帥
 宮崎方面の戦闘と元帥の進軍
 城山攻撃と攻城砲兵 隊司令官たる元帥

第15章 參議、陸軍卿、參謀本部長時代

 海防及び兵備
 徴兵事務に関する建議
 軍人勅諭の下賜
 朝鮮事変
 兵制革新

第16章 歐洲兵制視察

第17章 陸軍大臣時代
第18章 兵器に関する貢献
 長四斤山砲/彌助砲/兵器 の独立/造兵司掛/青銅 砲/十三年式村田銃/七 糎野砲、同山砲/輜重兵 器具 遊就館/無煙火薬 /防楯/野、山砲論/工兵隊併用器材/架橋器材/海岸砲/海防費御下賜金及び獻金/二十八糎榴彈砲/三十口徑二十四糎加農/隱顯砲架/村田連発銃/電話機/軍用鳩/二十四糎加農/機関銃/氣球/中等口徑速射砲/測遠機/武式砲外彈道学/二十八糎榴彈砲昇降砲架/二十六年式拳銃/日清戦役と兵器/砲台鏡の曇り/大口徑砲用隱顯砲架/西伯利鐵道/三十年式銃/三十一年式速射野、山砲

第19章 明治二十七、八年戦役

 開戦の序幕
 旅順半島の作戦と、金州、大連、旅順の攻略
 遼河平原の作戦と蓋平、営口の占領
 山東半島の作戦と威海衞の攻略
 北洋水師の全滅
 凱旋
 金州城内櫻樹の移植
 清国軍人戦亡碑の建立
 片假名五十音の習字手本
 劉雨田の歸化

第20章 東宮御輔導時代
  元帥府設置の詔勅

第21章 明治三十七、八年戦役
 對露作戦の準備
 大本営幕僚長としての作戦指導
   開戦当時に於ける作戦計画
   第一、第二軍等の上陸作戦指導
   各軍の陸上作戦指導
 満洲軍の統帥
   満洲軍の編成と其の北進
   遼陽附近の会戦と旅順第一囘攻撃
   沙河会戦及び旅順要塞正攻法の開始
   沙河對陣及び旅順要塞の攻略
   日本軍の決戦準備及び黒溝台附近の会戦
   奉天会戦
   奉天会戦後に於ける満洲軍の行動
 凱旋
   參内復命
   復命書
   凱旋行軍と歡迎会
   凱旋大観兵式
   凱旋大行軍
   新宿御苑の賜宴

第22章 大山邸への行幸行啓

 皇太后皇后陛下の行啓
 天皇陛下の行幸
   観世音銅像の建設
 皇太子殿下の行啓

第23章 戦後の大局

第24章 元勲、内大臣時代
 大正政變
 内大臣拝命
 世界大戦と元老会議
 即位の御大禮
 内閣の交迭

第25章 国葬と銅像
 一 国葬
 二 銅像

第26章 高風餘芳

『元帥公爵大山巖 付図』  目次
1 薩英戦争決死隊壮挙に際する英艦位置
2 薩英戦闘経過要図
3 鳥羽伏見付近戦闘要図@
4 鳥羽伏見付近戦闘要図A
5 淀町富ノ森付近戦闘要図 
6 八幡橋本付近戦闘要図
7 東山道官軍行動一覧図
8 明治戊辰役元帥行動一覧図
9 岩井付近戦闘要図 
10 宇都宮付近戦闘要図@
11 宇都宮付近戦闘要図A 
12 宇都宮付近戦闘要図B
13 白河の戦闘直前の状況要図
14 官軍白河攻撃要図
15 官軍白河防禦要図@
16 官軍白河防禦要図A
17 官軍平攻撃要図 
18 官軍二本松攻撃要図 
19 二本松城突撃経過要図
20 白河口方面軍会津攻略計画要図
21 官軍保成峠攻撃及宿営要図
22 若松付近両軍配備要図
23 官軍若松城攻囲要図
24 十年役作戦経過概見図@
25 十年役作戦経過概見図A
26 旅順半島作戦元帥行動一覧図
27 山東半島作戦元帥行動一覧図
28 花園河口上陸地之略図(由比大尉)
29 満州軍方面作戦経過概見並元帥行動一覧図
 附表 明治戊辰役巻末付図軍隊符号便覧

 『元帥公爵大山巖』によせて  「一身ヲ以テ二身ノ如キ思」で明治日本を問い質す書
  筑波大学名誉教授 大濱 徹也
 『元帥公爵大山巖』は、日露戦争(1904〜5年)三十年記念として、昭和十(1935)年に大山家が刊行したものです。大山巖は、山県有朋とともに日本陸軍の創設に力を尽くし、日清戦争の第二軍司令官・日露戦争で満洲軍総司令官として勝利をもたらし、国民的人気を博した将軍です。その存在感は元帥大山巖として広く知られています。しかし日露戦後から大正政変下、元勲にして内大臣となり、国政に一定の地歩を占めていたことには眼が向けられていません。

 こうした大山巖の足跡は、明治という時代を大山巖に託して描いた児島襄の作品『大山巖』全五巻(1977〜78年)などがあるものの、いまだ十分に検証されていません。そこには、一軍人として己を律する公人たる世界とは別に、ヨーロッパ留学で身につけた一個人としては私人たる場を大切に生きようしていた近代人大山巖の相貌を時代に位置づける困惑があるのではないでしょうか。

 このような相貌こそは、大山元帥伝編纂委員長の陸軍大将尾野實信をして、「序」で「元帥の謙譲、寡黙、宏量大度の人格者たりしことは、世人己に知る所」と評さしめたものです。ここに描かれた「大山巖伝」は、公人たる大山巖が幕末維新の激闘を一介の武弁として生き抜き、普仏戦争を観戦、「兵器の独立は国家の独立」との強き思いを胸に国軍建設にかかわり、ヨーロッパで文明の何たるかを実感、兄と慕った西郷隆盛を西南戦争で亡ぼし、国軍の確立に努め、日清・日露戦争に如何に臨んだかを詳細に大山家の記録などで詳述しており、明治建軍史の趣を呈しています。まさに本書は、大山巖をとおして読みとる日本軍事史であり、戦争史ともいうべきものです。その構成は、勤皇討幕に奔る幕末動乱から戊辰戦争までが三百頁余、全体の三分の一を占め、西南戦争まででほぼ半分の頁を費やしています。ここには己が人生を凝視する大山巖の眼が強く投影されています。

 大山巖は、明治十二年春に起筆した「大山巖自敍履歴」で、その思いを「自序」に認めています。
  予ハ自ラ予カ一世ノ歴史ヲ書テ聊カ記憶ニ供セント欲ス、是ヲ人ニ示スニアラス、予カ如キ一世ニシ  テ二世ヲ見ルカ如キノ世渉リタルハ古人歴史ト雖モ未タ嘗テ不聞所ナリ、今日の考ヘヲ以テ昔日ノ事  ヲ思ヘハ予カ一身ヲ以テ二身ノ如キ思ヲ成セリ、只恨ラクハ予カ筆ヲ執ル拙クシテ十分ノ意ヲ盡ス事  不能干時明治十二年春ヨリ始ム

 大山は、西南戦争で従兄西郷隆盛を討ったことで己の人生に幕を閉じ、「一世ニシテ二世ヲ見ル」「一身ヲ以テ二身ノ如キ思」で、国軍確立を己の天命とみなすことで新たなる人生が生きれたのです。「大山巖伝」は、こうした生涯を公人たる足跡にたどり、時代の波濤を一身に引き受けて生きる大山巖の相貌を提示しています。そこには、幕末維新期を苛烈なまでに討幕で邁進し、果断に状況を切り開く若き大山の姿が読みとれます。精忠組から寺田屋へ、そして戊辰内乱の全過程が戦闘状況の詳細な記述によって提示されており、「相楽一件」として、相楽総三らが処断される一こまをはじめ、戦場での傷病兵への英国人医師による治療活動に道をひらいたこと、「君が代」を国歌としたことを紹介するなど、幕末維新史の奥を垣間見せてくれます。西南戦争前夜には、ヨーロッパでの生活を打ち切って帰国させられ、鹿児島の西郷に福沢諭吉の著書を送るなどして出京をうながす大山の苦悩など、明治の闇を読み解く素材にふれることができます。

 本伝記は、戊辰内乱から日清・日露戦争の戦史を詳細に検証するのみならず、元老として国政に参与し、日露戦争後に激動していく政治をきわめて冷静に凝視し、内大臣として大正の幕開けに歩をつけていく姿を淡々と記しています。そこには、第三者の眼で政治の激流に対処した姿がうかがえ、大正という時代を再検証する眼が提示されています。
 まさに『元帥公爵大山巖』は、大山家の記録をはじめ関係資料によって、近代日本の軍事と政治を正面から描いた作品として、日本近代史を「一身ヲ以テ二身ノ如キ思」で生きた特異なる人間の眼で問い質す恰好の作品として、現在あらためて読み、明治という時代を追体験したいものです。
(本書パンフレットより)

 
『元帥公爵大山巌』を推す 軍事テクノクラートの面目躍如
   作家 桐野 作人
 大山巌(1842〜1916)といえば、西郷隆盛の従弟、弥介砲の発明者、日露戦争での満洲軍総司令官といった面がすぐ思い浮かぶ。
 それらは大山の断面を示しているが、もちろんすべてではない。本書は質量ともに大山の伝記にふさわしい一冊である。量はなんといってもそのボリュームである。本巻のほか附図・附表と年譜も付いている。

 本編は千頁近くもある(構成内容は後述)。附図・附表は三十枚(うち附表は一枚)もある。薩英戦争、鳥羽伏見の戦いと戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争(満洲軍の陸戦)と大山が参戦したすべての戦いが網羅されている。また年譜も侮れない。通常、年譜は巻末に簡略なものが付いていることが多いが、本書では別冊になっており、総頁数は六百三十頁という精細で膨大なもの。しかも、すべての項目に出典が付してある。これほど立派な年譜はいまだかつて見たことがない。

 本書は大山元帥伝編纂委員の手になるもので、代表者は尾野実信(1865〜1946、陸軍大将)。尾野は日露戦争期をはじめ、長く大山の元帥副官を勤め、大山の人となりをもっともよく知る人である。しかし、尾野が実際の編纂実務を担当したわけではない。この膨大な伝記を編むにあたり、もっとも時間と手間を労したのは史料蒐集と関係者への取材であろう。その任にあたったのは、尾野の序文に名前が挙げられている猪谷宗五郎だと思われる。猪谷はこれに先立ち、大山と同郷の松方正義の伝記『侯爵松方正義卿実記』(中村徳五郎編纂、現在『松方正義関係文書』一〜五所収)の編纂にも加わった経歴もあることから、その手腕が本書の史料蒐集でも十二分に発揮されている。

 それでは、本編の特徴や注目すべき点について、いくつか述べてみたい。
 まず、本書には大山が生まれ育った当時の下加治屋町の見取り図が掲載されていることである。大山は鹿児島城下でも下級城下士の居住区域である下加治屋町に生まれた。わずか七十数戸の町内に従兄弟の西郷隆盛・従道兄弟をはじめ、大久保利通、村田新八、東郷平八郎(連合艦隊司令長官)、黒木為驕i第一軍司令官)などが住んでいた。この一帯はまさしく維新と明治の揺籃の地といっても過言ではない。
 この有名な町内すべての家と家長の名前が書き出されており、とても貴重な記録である。(『大久保利通文書』第十巻にも類似の見取り図あり)

 第二に寺田屋事件である。大山はのちの日露戦争で満洲軍総司令官をつとめ、どのような苦境にも動じない、茫洋とした将帥のイメージが強いが、若き大山は当時の攘夷青年がそうだったように、血気盛んな尊王攘夷の行動派だった。その最たるものが寺田屋事件である。有馬新七など九人が犠牲になったが、寺田屋二階には二十人以上の薩摩藩有志が結集しており、そのなかには大山巌のほか、いとこの西郷従道、篠原国幹、三島通庸、伊集院兼寛、永山弥一郎などもいた。帰順した大山らは鹿児島に強制送還され、一時謹慎処分となっている。大山の原点は過激な尊攘派だったことがわかる。また寺田屋事件は、島津久光の命による「上意討ち」という評価に対して、近年、孝明天皇の「浪士鎮撫」の勅命があり、有馬らは「違勅」の罪によっても成敗されたという見方が強調されるようになってきた。すでに本書ではその見方に先行して、浪士鎮撫の勅命が紹介されている。先見の明というべきだろう。

 第三に、大山と兵器との関わりである。大山といえば、自分の通称を冠した弥介砲が思い浮かぶくらい兵器への造詣が深い。本書でも、「兵器に関する貢献」という一章がわざわざ立てられている。大山は戊辰戦争で薩藩第二砲隊長をつとめている。大砲への思い入れはひとしお強かったのは、やはり薩英戦争での実戦経験だろう。大山はこのとき、弁天波止の砲台で敵弾が飛び交うなか、双肌脱ぎになって砲撃した。それでも、砲戦では英国艦隊に敗北したことが深く胸に刻まれたのでないか。

 有名な弥介砲は十二斤綫臼砲だが、それ以前の明治初年にフランス製の四斤山砲を改良して長四斤山砲を集成館で製造している。欧州留学時代にもスイスで発見した青銅砲の長所を活かすことを意見具申して採用されている。また明治陸軍において軍用小銃が不統一な状況を一新するため、村田経芳が考案した、いわゆる村田銃(十三年式、十八年式)を制式銃として採用している。なかでも特筆すべきは、二十八センチ榴弾砲である。これは旅順要塞と旅順艦隊の粉砕に威力を発揮したことで知られる。これも大山が海防費献金を使って製造した要塞砲で、日露戦争のときに旅順に搬送されたもの。

 こうしてみると、大山は数度にわたり陸軍大臣や参謀総長という軍政・統帥の最高両職を歴任しているが、その本領は意外と軍事技術の隅々にまで精通した軍事テクノクラートだったといえるかもしれない。その一方で、日露戦争で見せた悠揚迫らぬ将帥ぶりとはあまりに対照的である。そこにこそ、大山という人物の奥行きの深さを見る思いがする。本書でも、大山をよく知る元勲、政治家、軍人の後輩・部下などの大山評がそのことをよく物語る。
 そのほか、明治六年(1873)の征韓論によって西郷隆盛が下野してから、薩摩閥は分裂したが、とくに大久保利通が西郷の復帰を熱望しており、その大任が大山に与えられた一件などは興味深い。さらに「君が代」選定にあたり、大山が薩摩琵琶歌「蓬莱山」から歌詞を採ったという逸話、欧州兵制の視察、日清・日露の両戦役、その他界と国葬など、興味深い逸話が満載である。

 逸話を二、三紹介する。大山は射撃の名手だったという。屋敷の庭に無花果の樹があり、その実が熟すと鳥がやってくる。猟銃で両手射ちすれば、鳥が気づいてすぐ逃げるので、大山は鳥に気づかれぬよう、あっという間に片手射ちで撃ち落としたという。いかにも銃器の扱いに手慣れた大山らしい。
 大山の国葬当日、ロシア大使館付武官のヤホントフ少将が大山家を訪問して、全ロシア陸軍を代表して弔辞を述べ花環を贈呈した。ロシア陸軍が日露戦争での日本側最高司令官に敬意を表しているのもまた敵味方の感情を超えた大山の人徳、衆望をうかがわせる。

 大山とともに陸軍創設に関わり、薩長を代表する元勲だった山県有朋はその死を悼んで挽歌を手向けている。
「大山のくづれし音はうちつけに老が胸をばつらぬきにけり」 
 大隈重信は、大山が家族思いで、夕方、懐中時計を見て夕食の時刻になれば、大急ぎで帰宅したというユーモラスな逸話を述べている。大山が後妻に会津出身の山川捨松を迎えたのは有名な話。幕末維新期には宿敵同士だった薩会の結婚は実現するまでに一悶着あったが、大山は愛妻家だったという。しかし、本書では家族生活のことがあまり具体的に触れられていないのが残念である。その代わり、家族写真は豊富に掲載されていて、その一端がうかがえる。

 本書は随所に大山の書簡をはじめとした史料を転載してある。伝記特有の顕彰的な側面のみならず、大山や明治陸軍を知りうる好個で実証的な記録でもある。古書市場でも入手しにくい本書をマツノ書店が覆刻するのは、まことに時宜にかなった英断だと考える。広く読まれることを期待したい。
(本書パンフレットより)


曽祖父のことあれこれ
   曽孫・文筆業 大山 格
 むかしの薩摩人は概して無口である。
――議を云うな
というお国柄から、不言実行をよしとする。また、自慢話を嫌う傾向がある。それを美風として称賛する人もいるが、歴史を学ぶ者にとっては困ったことでもある。たとえば戊辰戦争に関して、山県有朋が自伝的著作「越の山風」を遺したのに対し、大山巌は無題の自伝を書きかけたまま、ついに完成させることがなかった。
 大山巌は私の曾祖父ではあるが、一度とて顔を合わせたわけでなく、日頃は単に歴史上の人物として考えるようにしている。

 血縁からくる主観を排したうえで、一個の歴史家として思うのは、世上いわれる天性のゼネラリストという評価は妥当でないということだ。
――大将になるために生まれて来たような男
 ある作家が、大山巌をそのように表現した。そして、その印象は一般の人のみならず、研究者にも広まっている。だが公刊伝記を読めば、それが多分に誤解を含んだ評価だとわかるだろう。
 公刊伝記において着目すべきことは、人格形成の過程である。

 若き日の大山弥介は、砲術家の子でありながら、あえて槍術を学ぶという時代錯誤的な面を見せている。それが薩英戦争をきっかけに洋式兵学を学ぶようになった。
 薩摩には合伝流という火力重視の兵学があり、伊地知正治や村田経芳、西郷従道などが学んでいる。その合伝流の系統に大山巌は属しておらず、あくまで高島流江川塾の系統に属していると見るべきだ。兵学に関して、大山巌は薩摩の流儀ではないのだ。
 以後は建軍期に至るまで技術士官の道を進んでおり、部隊指揮官として実戦を経験してはいるが、むしろ統帥に関しては専門外と考えていい。

 明治六年政変以来、多くの人材を失った陸軍は、砲術のスペシャリストであった大山巌にゼネラリストヘの転身を求めた。そして、求められるまま指揮官にもなり、軍政官にもなった。果ては文部大臣など陸軍大臣以外での閣僚も経験している。
  茫洋たる大器
 などという評は、すべて後半生の業績からくるものだといえよう。
 公刊伝記を読めば、大山巌が前半生において、ややもすれば軽率とも思えるほど快活な人であったことがわかる。つまり、どっしりと重みのある指導者としての資質は天性のものではない。むしろ後天的に習得したものであると考えるべきだろう。

 いかにして大器と評される資質を獲得したか、残念ながら大山巌が自ら語ることはなかった。いま、それを知る術は公刊伝記を精読するほかないだろう。
 公式記録と、周囲の人々の記憶をもとに綴られた公刊伝記は、大山巌の人格形成を辿るうえで、ほとんど唯一の手がかりである。というのは、関東大震災と第二次大戦の空襲によって、公的機関に預けた以外の記録類の一切が失われているからである。

 私が幼い頃、祖父から伝え聞いた大山巌のことごとも、ほぼすべて公刊伝記に記された範囲のことでしかない。
 そうした事情から、公刊伝記の覆刻は実に意義深いことである。その行間に埋もれている大山巌の真の人物像を、多くの人に探って頂くことを期待したい。
(本書パンフレットより)