大藩秘籍 会津全書 日新館童子訓・千載之松
 松平容頌
 マツノ書店 復刻版
   2018年刊行 A5判 並製(ソフトカバー) 540頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
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会津全書 略目次
日新館童子訓
・三大恩のこと ・人たるの道 ・朝夕の心得 ・我身の労を厭ふな 
・父母の命に順なれ ・敬愛と謹愼 ・父母の意に逆ふな
・舅姑に事ふる道 ・人の子たるの礼 ・親を寧ぜよ
・斯の如く敬せよ ・和気、愉色、婉容 ・先づ親を称ふべし
・父母病み給ふ時 ・養老の心尽くし ・諌めて逆らはず
・身は父母の遺体 ・孝に三あり ・人は萬物の霊長
・畏れて怨まず ・念願常に父母あり ・真の孝養
・直諌、苦諌、諷諫 ・孝、妻子故に衰へず ・忠孝一本
・臣の道 ・諌の諸相 ・補弼の任
・社(しや)稷(しよく )を寧する臣 ・学文の則 ・弟子の道
・謙譲は学問の基 ・尊者に封するの礼 ・悌順の道
・兄の愛 ・長幼の序 ・長者に事ふる道
・朋友の交 ・交友を選べ ・交誼心得草
・君予の悪むところ ・人生三期の戒め ・神を瀆(とく)すなかれ
・至徳感応 ・日新の徳

千載之松
 ①土津公の生立
・御誕生 ・保料肥後守へ養子 となる ・高遠入
・正光公の心遣ひ ・見性院の逝去 ・棋道の天才
・水練にも出精 ・信濃様 ・人物試験
・保料肥後守逝去 ・悲喜交交

 ②最上城主
・家光公に愛せらる ・出羽、最上へ転封 ・旧領民の敬慕
・飢饉救済 ・髭切丸 ・江戸屋敷を賜ふ
・島原の乱の教訓 ・この覚悟 ・天下の御意見番
・本丸焼失 ・海手屋敷拝領 ・半天下
・鷹狩挿話

 ③会津転封
・東国の鎮護 ・城受取 ・民間仕置制定
・五山御取立 ・三春騒動 ・家綱公御元服
・孝子表彰 ・親しく民の聲を聴く ・仁政に人口激増
・日月出矣嚼火不息 ・僻阪の山村潤ふ ・人頭改め
・公事奉行設置 ・三代将軍薨去

 ④四代将軍後見役
・補弼の大任に專念 ・澹台滅明 ・暑中の精励
・由比正雪の事件 

 ⑤総動員的施設
・治に乱を忘れず ・武芸奨励 ・不時の備へ
・留守城代 ・廻米道

 ⑥藩政大革新
・儒学に傾倒 ・輔養編の著述 ・條目制定
・法度の徹底 ・異端侍 ・家中への仁慈
・救助米 ・郷村の穀留 ・将軍の名代
・高位御辞退 ・家号と同紋 ・親子の公事
・惨刑法度 ・穿鑿の緩急軽重 ・朝鮮使節
・坊主法度 ・孝子御取立 ・社会法實施
・塩の貯藏 ・麦作奨励

 ⑦天下多事
・聖学尊信 ・寄合日定る ・横目衆迭察
・綱紀粛正 ・進言を用ひらる ・明暦の大火
・共夜の城内 ・米倉開放 ・回向院建立
・罹災民救助 ・非常節約 ・秩序回復
・風雲を孕む ・非常時体制 ・熊之助召出

 ⑧仁慈の善政
・質素の範を垂る ・気は確か? ・養子縁組不得心
・玉川上水道敷設 ・下屋敷拝領 ・家中掟改定
・消防と褒賞 ・天守閣は後廻し ・仁慈非人に及ぶ
・世相不穏に善処 

 ⑨逸話の種々
・井伊掃部頭との交遊 ・阿部豊後守 伯夷の事
・真の忠臣 ・性善性悪問答 ・罪と罰
・囲碁に悟る ・南天燭 ・使者のロ上
・馬と人 ・珍小袖 ・鈴の音
・名後見

 ⑩闘病録
・眼疾 ・死殉を禁ず ・凶年に備ふ
・役と人物 ・行届いた人事 ・御留守居
・巫祝の類追払 ・救助米 ・任免の心得
・家系を正す ・吐血 ・榊原式部大輔推挙
・流謫、蟄居者赦免 ・一言を購ふ ・貞女を賞す
・一進一退の病勢

 ⑪宗教改革
・山崎闇齋進講 ・稽古堂と無爲庵 ・本朝通鑑
・薪払底 ・人質廃止 ・養療
・ある裁判 ・敬神崇祖 ・古神道復興
・質實の範を垂る ・詩経に学ぶ

 ⑫善政の跡
・賞罰の詮議 ・お羽織と茶坊主 ・玉山講義附録
・祭葬を正す ・賜餐 ・隠居願肯かれず
・会津風土記成る ・寺社縁起書上 ・御判升
・期聞禁漁の定め ・歌の餞け ・延喜式内古社修復
・神仏分離 ・低利貸付 ・湯漬の馳走
・神社改め ・偽金発見 ・両邸炎上

 ⑬赫く遺烈
・家訓制定 ・元老 ・三部の御書
・在米調節 ・飢饉封策 ・百姓愛憐
・蝋役人恐入る ・綿輸出禁止 ・生ける教訓
・御刀吟味 ・会計の責任 ・好学
・文武の長短 ・数々の師友 ・飲食の戒

 ⑭晩年の土津公
・隠居 ・家中安穏 ・形見分け
・忠僕の処分 ・会津御帰城 ・極樂寺事件
・東市様逝去 ・常平法 ・狎恩の徒
・神号奉進 ・田中正玄逝く ・成瀬主計成敗
・身木の梅 ・三家老訓戒 ・湯治行
・壽藏御見立 ・会津旧事雑考成る ・新田開発

 ⑮見禰の松風
・修書献上 ・大悟徹底 ・聖賢の話
・御重態 ・御遺言 ・薬石無効
・御他界 ・落花紛々 ・遷宮祭
・神鎮り給ふ 

 わが座右の書物『会津全書 日新館童子訓・千載之松』
    作 家 中村 彰彦
 いささか生意気なようではあるが、私はかねがね、会津史を深く研究するには第一に初代藩主保科正之の人と思想を理解すること、第二に同藩最高の名家老田中玄宰による寛政の改革を頭に入れることが必要不可欠だ、と言ったり書いたりしてきた。会津贔屓の人には幕末好きが多いようだが、保科正之が手塩にかけて育て、田中玄宰が彫琢した会津藩二十三万石の士風を知れば、最後の藩主松平容保が京都守護職という損な役目を引き受けざるを得なかったこともすんなりと理解できるのだ。

 昭和13年(1938)9月、教材社刊の石川政芳編註『大藩秘籍 会津全書』に収録された『日新館童子訓』と『千載之松』こそは、保科正之と田中玄宰の時代を知るための大きな手掛かりとなる重要文献にほかならない。

 便宜上『千載之松』から紹介すると、これは玄宰と同時代の会津藩士で儒学者でもあった大河原臣教が編纂した保科正之の伝記である。慶長16年(1611)5月、徳川二代将軍秀忠と秘密の側室お静の方の間に生まれた正之(幼名、幸松)は、徳川の姓も与えられなければ江戸城にも招かれないという非情な扱いを受けた上に、七歳にして信州髙遠藩保科家二万五千石(のち三万石)へ養子に出された。

 こうして保科幸松と称した少年は、養父保科肥後守正光が死亡すると保科家を相続して肥後守正之と名乗り、異母兄である三代将軍家光に誠実一途の知的な人柄を高く評価されて出羽山形藩二十万石を経、寛永20年(1643)に会津藩を立藩するに至る(松平に改姓にするのは三代藩主正容の時代)。
 家光の遺命により、十一歳で四代将軍となった家綱の輔弼役に就任した正之は、江戸時代を通して眺めてもまことに見事なまでの指導力を発揮した大人物であった。 私はその業績を以下の九項目に分類したことがあるので、それを紹介したい。

 将軍輔弼役としての功績としては、
①家綱政権の「三大美事」の達成(末期養子の禁の緩和、大名証人〔人質〕制度の廃止、殉死の禁止)
②玉川上水開削の建議
③明暦の大火直後の江戸復興計画の立案と迅速なる実行(ただし江戸城天守閣は無用の長物として再建せず)
などが挙げられよう。
また会津藩初代藩主として残した大きな足跡としては、
④幕府より早く殉死を禁じたこと
⑤社倉制度の創設(以後、飢饉の年にも餓死者なし)
⑥間引の禁止
⑦本邦初の国民年金制度の創設(身分男女の別を問わず、九十歳以上の者に終生一人扶持〔一日につき玄米五合〕を給与)
⑧受診料無料の救急医療制度の創設
⑨会津藩の憲法である家訓十五ヵ条の制定
などが思い出される。

 『千載之松』は、正之がなぜこのような文治主義の政治をおこなったかという点についても少なからず言及している。この史料を参照しつつ『保科正之―徳川将軍家を支えた会津藩主』(中公新書)や『名君の碑 保科正之の生涯』(文春文庫)を書いてきた私としては、本書の復刻を喜ばずにはいられないのだ。

 また『日新館童子訓』の日新館とは、田中玄宰の指導によって新設された会津藩の藩校のこと。この藩校に十歳で入学した会津藩の子弟たちに道徳の教科書として与えられたのが『日新館童子訓』であり、その編者は五代藩主松平容頌だから、会津藩は藩校で独自の教科書を用いている珍しい藩でもあったのだ。

 ここに収録されているのは、かつて会津に生きていた孝行息子たちの美談や武士の見習うべき忠義譚など合わせて七十五話である。玄宰が藩主の書き溜めていたこの書物の原本をなぜ教科書にすることにしたかというと、天明2年(1782)から三年つづいた「天明の大飢饉」によって火付け、強盗、遺体投棄などの犯罪がめだちはじめ、士風を鍛え直す必要に迫られたからであった。

 この目的を達成するために玄宰の取った手法は、『日新館童子訓』を藩士の家一戸につき一冊ずつ配布して主婦や娘たちにも読ませたことである。主婦たちは幼い子が寝つく前に読み聞かせをおこなったため、同書に記された忠孝譚は会津藩の家中全体に浸透し、モラルの向上に大いに益した。本書が『会津論語』という別名を持つのも、すべての会津藩子弟が本書によって武士としての生き方を考えはじめたからにほかならない。

 ちなみに本書収録の『日新館童子訓』には編註者のていねいな「註」がついている分だけ、木版刷りの原本より読みやすくなっていることを追記しておこう。
最後に触れておきたいのは、本書がなぜ昭和13年に東京の出版社から刊行されたか、という点についてである。この年は明治元年(1868)の戊辰の年から70年目に当たっており、前年6月には徳富蘇峰が福島県若松市(現会津若松市)において幕末維新期の会津藩は賊徒にあらずとする講演をおこない、聴衆が万雷の拍手で応じるという一幕があった。さらに13年3月には、会津人飯沼関弥が『会津松平家譜』(マツノ書店から復刻)を刊行。五月には、会津戊辰戦争に倒れた中野竹子女史の殉難碑の除幕式も会津若松市郊外でおこなわれた。このように会津藩再評価の気運が盛り上がる一方で日中戦争もはじまったため、やはり会津人である編註者は会津魂の真髄を世に問おうとして本書を編纂したのである。

 なお『日新館童子訓』は、私も『会津論語 武士道の教科書「日新館童子訓」を読む』(PHP文庫)において現代語訳したことがある。しかし、『千載之松』は『会津会々報』の第一号から第七号(大正元年〈1912〉から同4年)にかけて分載されたことはあっても、会津会の会員以外以外には頒布されずにおわった。
 『大藩秘籍 会津全書』にしても「限定版一千部」(奥付)しか刷られなかったため、古書店でもまず見掛けたことがない。
 今回刊行されるマツノ書店版は原本より読みやすい形になるそうなので、歴史愛好家のみなさんにお勧めしたいと考えてこの稿を草した。
(本書パンフレットより)