渋沢栄一を始めとする古老が語る明治維新直後の財政事情、偽札取締まり、新紙幣発行から銀座街改築に及ぶ実話の数々…
これは単に井上馨の事歴に止まらず、隠れた維新史料として、すこぶる貴重な文献である
世外侯事歴 維新財政談
 附・『伊藤侯 井上伯 山県侯 元勲談』
 澤田章編
マツノ書店 復刻版 ※原本は昭和10年
   2015年刊行 A5判 上製函入 768頁 パンフレットPDF(内容見本あり)
    ※ 価格・在庫状況につきましてはHPよりご確認ください。
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世外侯事歴 維新財政談 略目次
 上巻
・維新当初の財政状態
・太政官札の発行並製造の顛末
・民部省札の発行並製造の顛末
・贋札改の模様
・銀目廃止と銀相場
・贋貨二分金の処分
・造幣寮創立当時の事情
・造幣寮建築の模様
・造幣寮の開業式
・造幣頭と首長キンドル
・造幣寮の制服並職工の待遇法
・新貨條例並製貨に関する事
・造幣寮と文明的事業

 中巻
・商法司並通商司の創設
・為替会社の始末
・商社及廻漕会社附開墾会社
・富岡絲紙場の創設
・鉄道及鉄道公債附電信
・伊藤博文の米国行
・版籍奉還、廃藩置県の内情
・民部大蔵二省の合併
・大蔵省と井上侯
・大蔵省の庶政
・藩札の処分
・各藩の武器没収
・新紙幣の事
・大蔵省並開拓使免換詮券

 下巻
・国立銀行の創立
・金札引換公債証書
・準備金の事
・旧藩内外債の処分
・尾去澤一件
・家禄の処分、秩禄並金禄公債
・地租改正
・釜石製鉄
・銀座街の改正
・井上侯辞職の願末
・小野島田等の破産
・西南役後の財政
・北海道改革一件


『伊藤侯 井上伯 山県侯 元勲談』 略目次
 三条公
公の資性、行状
公の政治主義
公と明治政府
公の功績、徳望
公と岩公の関係
公の学問、嗜好

 岩倉公
公と伊藤公
公と維新大業、西南役
公と征韓論
公と大阪会議
当時の大政参与
公が西南役に於ける苦心
公の学問、嗜好

 木戸公
公と伊藤侯
来原の人物
公と伊藤候の隔意
公と台湾事件
公と大阪会議
公と朝鮮使節の派遣
公と奥羽御巡幸
公の憲法論
公の功績
公の資性・健康
公の学問、嗜好

 大久保公
公と伊藤侯
公と維新前後
公の憲法意見
当時廟堂の状勢
公の紀尾井坂遭難
公と島津公との隔意
公と西郷の交情
大久保と木戸公の比較
岩倉、木戸、大久保、三公
公の質素、嗜好

 元勲余談
島津久光公
島津斉彬公
吉田松陰と長井雅樂
薩人と水戸学問
藤田東湖
佐久間象山
西郷南洲
高杉東行
大村益次郎

 大久保公と伊藤侯
公の遭難当日
公の清國派遣

 井上伯の懐旧談
伯の洋行と象山の意見
伊藤公に洋行を勧む
水夫の仲間に入る
甲板上の大議論
書巻を抛って帰朝す
馬関砲撃を中断させんとす
山口に入る 山口の形勢
湯田瓦屋の活劇
高杉を牢獄に訪れて泣き養母遺児を抱いて嘆く
京師の変後における藩勢
攘夷変じて和議説となる
和議の結果と俗論党
正義党と俗論党
御前会議の論争
伯の遭難
遭難の原因 遭難の実況
疵所の治療
高杉伊藤見舞いに来る
俗論党の跋扈
伯もまた入牢申し付らる
親戚の無状母堂の慈悲
古今の美談
麻田の割腹と所の後継
遭難記念の巻物

 井上伯遭難の顛末
井上伯襲撃の現状
襲撃後の児玉氏
井上伯傷中の名言
井上伯の洪懐
井上伯遭難当時の帯刀
井上伯の遭難と杉子
刀の由来
井上伯襲撃者の消息
山県侯の老西郷談
西郷との初対面
薩長の連合
葉桜日記
維新後の会見
西郷と同船大阪に赴く
当時兵制の有様
西郷との会談
兵制改革の実行
廃藩置県と西郷
近衛と陸軍省の紛争
征韓論、西南戦争の原因
征討の評議出師
西郷へ送りし書面
城山の陥落
西郷の状貌
▼まだまだ面白いのに、これぞまことの「略目次」。あとは本をどうぞ。


『世外侯事歴 維新財政談』復刻によせて
   歴史学研究者 森田 貴子
  『世外侯事歴 維新財政談』(上巻・中巻・下巻、澤田章編、岡百世)は、大正10(1921)年9月1日、井上馨の七周忌に刊行された。その後、平成7(1995)年には『明治後期産業発達史資料』の中の一巻として復刻された(第264巻、龍渓書舎)。初版の『世外侯事歴 維新財政談』は非売品であり、頒布は限られていた。『明治後期産業発達史資料』は大部のシリーズであり、入手は困難である。この度、マツノ書店より『世外侯事歴 維新財政談』が復刻されるという。慶賀の至りである。

  『世外侯事歴 維新財政談』は、明治41(1908)年12月3日から明治45年5月2日まで、30日以上にわたる、20人もの人物の談話を編集したものである。明治41年、井上馨の大患回復後、明治初期の財政事歴編纂の史料収集の一環として、財界人・政界人などから、単独の聞き取りや、数人での談話会が開催され、談話記録が収集された。本書は、これらの談話のうち、明治初期の財政から明治十九年頃の北海道改革の調査までを、井上馨と財政を中心に編集している。談話は、特に題目を定めて語るものではなかったため、話の内容が錯綜したり、多岐にわたり、統一がないことがあった。本書は、煩雑な話を除き、重複を省き、題目を立てて編集された。それ故、同一の題目について、別々に収集した談話が一つの談話会のようにまとめられていることがあるが、談話聞き取りの日付は、個々の談話ごとに付されている。

  『世外侯事歴 維新財政談』で談話を行っている人物は、井上馨のみならず、第一国立銀行の総監役をつとめ、500社以上の会社の創立や経営に尽力し、日本の産業発展に尽した渋沢栄一。官僚であり、東京府知事もつとめ、東京市区改正などの都市計画を推進した芳川顕正。大蔵省局長をつとめ、日本銀行総裁に任命され、日露戦争時・戦後の金融を担った松尾臣善。大日本麦酒株式会社社長をつとめ「ビール王」とよばれた馬越恭平など、多彩である。
 本書は、明治維新当初の財政状態、太政官札の発行、贋札、銀相場、造幣寮創設、新貨条例、為替会社、富岡製糸場の創設、藩札処分、新紙幣、国立銀行の創立、尾去沢一件、銀座煉瓦街、小野組・島田組の倒産、西南戦争後の財政など、多くの題目によって構成されている。

 井上馨と馬越恭平の談話(明治43年6月15日)には、益田孝を大蔵省へ出仕させ、造幣寮造幣権頭へ任命した際の話がある。益田孝は、後に三井物産会社総轄となる実業家である。
 益田孝は、佐渡奉行支配目付役の長男として生まれ、父の江戸詰に伴い江戸に移り、漢学と麻布善福寺のアメリカ公使館で英語を学んだ。元服すると、外国方通弁を命じられ、アメリカ総領事タウンゼント・ハリスのもとでアメリカ公使館に勤務した。文久三(1863)年には幕府による遣欧使節団に随行し、明治維新の際には幕府の騎兵隊を率いていた。倒幕後、益田孝は横浜で通訳や売込商として働き、ウォルシュ・ホール商会にも勤めていたが、岡田平蔵から古金銀分析所の仕事を依頼され、大阪でこの仕事をしていた。ある時、岡田の紹介で井上馨を紹介され、井上の勧めで、明治5(1872)年に大蔵省へ出仕し、造幣権頭となった。その後、井上が大蔵大輔を辞職すると、益田も追って辞職した。井上馨・益田孝・馬越恭平は、先収会社(初め、千歳社、千秋社)を開業し、米・銅・石炭・紙・茶・蝋などさまざまな商品の売買を行っていたが、明治九年、先収会社は三井物産会社へ引き受けられた。

 幕臣であり、倒幕後は横浜・大阪で仕事をしていた益田孝に、なぜ井上馨が着目し、大蔵省へ出仕させ、造幣権頭に任命したのか。『世外侯事歴 維新財政談』からは、造幣寮のお雇い外国人キンドルへの対応に、当時の造幣寮の幹部が苦慮していたことが、複数の人物の談話からわかる。このような状況下で、井上馨は「英語が分る奴でなければいかぬ」と考え、横浜で通訳をしていた益田孝の紹介を岡田平蔵から受けた。馬越恭平によれば、明治維新期「徳川氏の者は使はぬといふことになって居た」という。明治維新期に幕臣は使用しないという暗黙の方針があったことがうかがわれると同時に、井上馨のように、幕臣であることや藩閥にとらわれず、益田の他にも、芳川顕正、陸奥宗光、上野景範など、日本の近代化のために有能な人材を登用する人事が行われたことも、談話から知ることができる。
 明治5(1872)年、東京府では大火によって焼失した銀座地域を、道路を改正し家屋を煉瓦化する銀座煉瓦街計画が持ち上った。銀座煉瓦街計画は、その後の銀座地域の発展によって、誰が銀座煉瓦街計画の発案者だったのかが論点とされた。大蔵大輔井上馨か、東京府知事由利公正か、という論点をめぐり、今日では井上馨の方であろうとされている(藤森照信『明治の東京計画』岩波書店)。本書には、その井上馨による銀座煉瓦街計画に対する談話が載せられている。

 『世外侯事歴 維新財政談』は、多岐にわたる事項について、井上馨自身が「どうしても一緒に集まらぬと思ひ出せぬネ」というように、当事者たちでしか知りえない事実や、当時の実状や考え方までも知ることができる貴重な書である。
(本書パンフレットより)



三元勲が語る幕末維新史の秘話 『伊藤侯 井上伯 山縣侯 元勲談』を推薦する
   戦史研究家 長南 政義
 中央新聞社編『伊藤侯、井上伯、山縣侯元勲談』(中央新聞社、1900年)は、中央新聞紙上に掲載された、伊藤博文、井上馨、山縣有朋の懐旧談を収録したものである。

 伊藤、井上、山縣の元勲談には各人の個性を反映してそれぞれ特徴がある。伊藤が大磯に建てた別荘(後に本邸となる)「滄浪閣」の邸内に尊敬していた三条実美、岩倉具視、大久保利通、木戸孝允の四人を祀った四賢堂を造り、壁面に掲げた四賢侯の像に向かい瞑想にふけっていたという有名な挿話がある。本書に収録されている伊藤の談話は、このことを反映して四賢侯の人物談が中心となっている。四賢侯のなかで伊藤が最も評価しているのは大久保である。伊藤は明治四年から大久保が死去するまで「大概百事相談を仕合つて居つた」と述べているように、大久保の性格や逸話を数多く語っている。伊藤によれば大久保は「思慮もあり決断もあり軽忽に事を為さない」自重の人である反面、難事に率先して当たる人物であるといい、その例として、明治11年の地方官会議において、老朽無能の地方官更迭に際し、自ら難局に当たり盲目判を押さない大久保の姿が語られている。

 維新回天の原動力が長州藩にあったことは衆人の賛するところである。八・十八政変、下関戦争、四境戦争…、幕末の重大事件には長州藩が関係している。長州藩を代表する維新の志士「井上聞多」の履歴は華麗だ。井上は伊藤と異なり参政として藩の御前会議に参加した閲歴を持つ。井上は、第一次長州征伐に際し幕府への恭順論を唱える俗論党に反対し、武備恭順論を強硬に主張し、俗論党に襲撃され重傷を負うが、井上の身体に残った刀傷が長州藩の維新史をそのまま物語っているといえよう。本書内の井上の談話も、慶応元年九月二十五日の御前会議での論争の模様と、藩政事堂から湯田の自宅での帰路に袖解橋附近で俗論党に襲撃される一件とが白眉となっている。重傷を負った井上が「モウ苦しいから介錯して呉れ」と述べるのを聞いた井上の兄が刀を抜いて井上の背後に立った際、医師の所郁太郎が「貴様は国の為めには忠義を竭したが親には不孝ぞよ、今貴様の兄が貴様を介錯しやうとすると、其背後には貴様の母堂さんが居つてドウしても自分の目が黒い中は首を落すことはならぬと云つて居る、ドウモ貴様の生命は六つかしい、就ては僅かの間耐らへて居れ己れが縫ふて遣る」と耳語して手術を始め約五十針に及ぶ縫合を行ない井上の命を救う場面は、経験者しか語りえない迫真に満ちたものとなっている。

 自身を「一介の武弁」と語った山縣は陸軍の基礎を作り軍部への影響力を死ぬまで保持し続けた。山縣は陸軍の創設者大村益次郎の暗殺後、陸軍大輔に就任し、西郷隆盛の後援を受け徴兵令制定などの軍制改革を断行すると共に、自身の政治生命の危機であった山城屋事件に際しては西郷の庇護を受けるなど、長州藩出身者の中では西郷との関係が深い人物であった。そのため、本書における山縣の懐旧談も西郷に関する談話が主となっている。
山縣は西郷と親しい人物であったゆえに知りえたエピソードを多く語っている。たとえば、山縣は、西郷には、煙草盆を前に置いて端坐して左手を膝上に載せ、右手で煙管を持ちながら吸い口で眼の上の辺りをグルグル回しながら話をする癖があったと証言しているが、これなどは直接西郷と親交があった山縣だからこそ語りえる挿話であろう。さらに、山縣によれば、西南戦争勃発の原因は、西郷の幕下と大久保との感情の行き違いにあったという。山縣の西郷に対する想いは強いものがあったらしく、城山陥落後に西郷の首実検をした時の感情を、「近代稀なる英雄が斯の如き終りを取つたかと思ふて覚へず泫然として涕下り実に哀情耐へられなかつた」と述べている。

 幕末維新の鴻業に関与した勲功者は多い。だが、時の試練に耐え、幕末期の志士の時代から維新後の政治家・官僚時代を通じ一貫して歴史の表舞台に立ち続け政官界で重きをなし続けた元勲は少ない。本書は、維新回天期の志士の時代から維新後の政治家時代まで、一貫して歴史の主役であり続け、最終的に元老の座に登りつめた伊藤、井上、山縣三人の談話を収録したもので、各人の語る一夕談がそのまま幕末維新史となっており、史料的価値の高い本である。幕末維新史に関心のある多くの人々に読まれることを期したい。
(本書パンフレットより)